紀州鉱山の真実を明らかにする会
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朝鮮の故郷から引き離され、紀州鉱山で働かされ、
亡くなった人たち。
家族とともに紀州鉱山に来て亡くなった
幼い子たち。
わたしたちは、
生きて故郷に帰ることができなかった
みなさんを想い、
なぜ、みなさんが、
ここで命を失わなければならなかったのかを
明らかにし、
その歴史的責任を追求していきます。
2008年3月9日
選鉱所跡でのはじめての
追悼集会で
追悼のことば
追悼碑建立にご協力をお願いします
紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人を
追悼する碑の建立にむけて
三重県南部の熊野市紀和町の紀州鉱山(1978年閉山)で、1940年から1945年までに1000人を超える朝鮮人が強制連行され強制労働させられていました。
石原産業の『紀州鉱山一九四六年報告書』、紀和町の慈雲寺本堂に置かれている『紀州鉱業所物故者霊名』、石原産業の『従業物故者 忌辰録』などによると、紀州鉱山で少なくても32人の朝鮮人が亡くなっていることが分かります。
2008年3月9日、紀州鉱山で、亡くなられた朝鮮人を追悼するはじめての集会が開かれました。朝鮮語で書かれた追悼のことばが読まれ燃やされたあと、犠牲者一人ひとりの名が読みあげられるなか、その名を書いた紙が参加者一人ひとりによって燃やされました。
このはじめての追悼集会の日は、紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人を追悼する碑の建設準備を始める日となりました。
紀州鉱山では、16名の英連邦兵捕虜も亡くなっており、この人たちの「墓地」は「史跡 外人墓地」として紀和町(現熊野市)は文化財に指定しています。
しかし、多くの朝鮮人が紀州鉱山に強制連行され、強制労働させられ、死亡した人もいたという事実は、紀和町の鉱山資料館でも示されておらず、『紀和町史』などでも明記されていなかったため、知る人が少なくなっています。
2008年6月27日に在日本朝鮮人総聯合会三重県本部、在日本大韓民国民団三重県地方本部、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、熊野市に、追悼碑建立への協力、用地提供などを求めました。7月18日付けで、熊野市は拒否回答を送付、10月16日に4者で直接交渉をしました。今年2月には在日本大韓民国民団三重県地方本部が熊野市長に出した面会要求も拒絶し、熊野市は一貫して用地提供を拒否し続けています。わたしたちは今後も、熊野市に追悼碑建立への協力を求めていきます。追悼碑建立には、約300万円のお金が必要です。
碑には、生きて故郷に帰ることができなかった朝鮮人一人ひとりの名を刻みたいと思っています。
みなさんのご協力をお願いします。
2009年3月
紀州鉱山の真実を明らかにする会
郵便口座番号 00920−3−247174
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