紀州鉱山の真実を明らかにする会

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会報総目次

「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(イギユン・ペサンド)の追悼碑を建立する会」を結成して以来、発行してきた当会会報の総目次です。
最新号は一番下です。下にいくほど新しいものです。
2004年6月28日に「紀州鉱山の真実を明らかにする会」創刊号を発行し、その後は合併号としています。

会報1号 1989年1月28日
・六〇有余年後の故郷からの消息
・一〇月三一日付、ペチョリョン氏からの手紙
・事件後に出された「在日本朝鮮労働総同盟」の声明
《新聞記事》
『追悼碑建立し歴史に残そう』 (山陽新聞夕刊 1988.12.14)
『朝鮮人虐殺の真相を』 (毎日新聞名古屋本社版 1988.12.11)
『悲史刻む追悼碑を』 (北日本新聞 1988.12.11)
・熊野行きのスケジュール
・会則
・会計報告
会報2号 1989年2月20日
・現地木本で交流と追悼を行う
・イギユン氏の遺族の消息わからず
・呼びかけ文の賛同人、93名に達する!
《新聞記事》
『歴史にとどめよ「木本事件」』 (読売新聞 1989.1.30)
会報3号 1989年4月1日
・『吉野熊野新聞』の事実誤認を指摘する
《賛同者からの便り》
歴史問題研究所等
・呼びかけ文の賛同人290名、3団体に達する!(4月1日現在)
会報4号 1989年7月4日
・結成集会を運動の新たな展開につなげよう!
・熊野市市長と教育長に要望書を提出!
[要望書] 熊野市長・熊野市教育長宛
・4・23木本事件、追悼碑を建立する会・三重結成集会の報告
・会計報告
・緊急カンパのお願い
会報5号 1989年8月30日
・熊野市に再度要望を行う!
[回答] 熊野市教育委員会より
・遺族からの熊野市教育長への便り (ペチョリョン)
・記者の嘴
・渡韓だより
・イギユン氏の故郷を訪ねて
・慶州でまいたビラ
《新聞記事》
『「木本事件」で市史訂正要望』 (朝日新聞 1989.6.8)
『くろーずあっぷ 「敬洪さん』 (統一日報 1989.6.23)
『「朝鮮人への襲撃は愛町心の発露」熊野市史訂正へ』 (統一日報 1989.7.12)
・会計報告
会報6号 1989年11月20日
・熊野市との三度目の交渉行われる!
[要望書] 熊野市長・熊野市教育長宛
[回答] 熊野市長・熊野市教育長より
[要求項目] 熊野市長・熊野市教育長宛
・熊野を訪れて
・その他の会の活動について
・これからの活動予定
・会計報告
《新聞記事》
『窓 朝鮮儒学者の碑』 (朝日新聞 1989.10.13)
『熊野市の対応に“怒り心頭”』 (朝日新聞 10.11)
『追悼碑を重ねて要求』 (統一日報 1989.10.18)
『60年前、日本人に虐殺されたイギユン氏、ペサンド氏』 (朝鮮日報 1989.10)
会報7号 1990年2月10日
・熊野市との話し合い2月26日に決定!
[回答] 熊野市長・熊野市教育長より
[抗議・要請文] 熊野市市長・熊野市教育長宛
・写真 極楽寺の無縁仏
・熊野での意見交流会に参加を!
・熊野市に要請ハガキを送ろう!
・三重県教育委員会に協力要請を行う!
[要望書] 三重県教育委員会委員長宛
・解放同盟三重県連に協力要請を行う
・上田音市さんを訪ねて 
・《木本事件と関東大震災朝鮮人虐殺》の講演会報告
・1月の例会に参加して 
・呼びかけ文の賛同人439人7団体に達する!(1990年1月20日現在)
・三重県教育委員会を訪れて
・今後のスケジュール
・会計報告
会報8号 1990年4月1日
・二月の現地行動で確かな手ごたえ
地元の人からの聞き取り調査
熊野市民との意見交流会
熊野市との話し合い
・木本を訪れて
・熊野市行政の朝鮮人差別を問う―『熊野市史』『小学校百年誌』の出版を許したことについて―
・熊野を訪れて
・初めて行った熊野
・資料集『  (ピータム) 地下軍需工場と朝鮮人強制連行の記録』出版! 
《紹介》
『ピータム 地下軍需工場と朝鮮人強制連行の記録』 
『在日六〇年・自立と抵抗−在日朝鮮人運動史への証言』張錠壽著(社会評論社、1989年)を読んで
《新聞記事》
『波紋投じる追悼碑建立会の活動 韓国の土かけ供養』 (統一日報 1990.2.28)
会報9号 1990年6月17日
・現地の交流会に参加を!
・熊野市の回答進展せず
[回答] 熊野市長・熊野市教育長より
[回答に対する見解] 熊野市長・熊野市教育長宛
・テグッキの話 活動の一年を振り返って
・三重大祭で木本事件の寸劇
“寸劇木本事件”について 
寸劇の感想
・呼びかけ文 韓国で紹介
・朝鮮人、中国人の強制連行・強制労働を考える全国交流集会が開かれます
・「死者のなまえを書きうつすとき、どうしようもなく、涙があふれた」
・会計報告
会報10号 1990年7月31日
・七月の現地交流会で地元から新たな反応
・木本へ行って(三重大生)
・地元の方からの便り
・岡本実氏と会って
・トッカビ子供会の“木本事件”フィールドワーク
 木本の事 (小学5年)
 木本のこと (中学1年)
・木本フィールドワークに参加して(三重大生)
・トッカビ子供会のフィールドワークに参加して
・九月に市長交渉の可能性!
・朝鮮人労働者「秋田三吉」のこと
・金靜美さんと鈴木裕史氏を迎えて (奈良県生駒郡同和教育研究会)
・さらなる、御支援と協力を!『(ウリ)生活』第六号の意見広告
・年内例会のスケジュール
・“7・7花岡事件の証言を聞き、戦後責任を考える集い”に参加して
・花岡事件のシンポジウムに参加して
・戦犯日本を国際裁判に提訴することにした太平洋戦争犠牲者遺族・参戦者の立場 (太平洋犠牲者遺族会会員一同)
会報11号 1990年11月20日
・熊野市との交渉、および夜の集まりにぜひ参加してください
・11月26日に熊野市との5回目の交渉!
・三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(イギユン氏・ペサンド氏)の追悼碑を建立する会の会議のおしらせ
・三重県学事文書課県史編さん室への手紙
[要望書] 熊野市長・熊野市教育長宛
[要望書] 部落解放同盟三重県連合会執行委員長宛・同共闘対策部長宛
・ペギョンホン氏の病気について
・杉浦新吉氏のこと (金靜美)
・トッカビ子供会の“木本事件“フィールドワーク 作文第2集
 きのもとのこと (小学1年生)
 きのもとのこと (小学1年生)
 22・23・24日の出来事(木本のこと) (高校3年生)
 木本のこと (中学1年生)
・木本事件を知っていますか 
・木本トンネル前の地蔵 
・会計報告
・公開書簡 海部総理宛 (太平洋戦争犠牲者遺族会会員一同)
会報12号 1991年3月20日
・第5回の熊野市交渉から非公式折衝までの経緯について
・11・26熊野市交渉報告
《新聞記事》
『「木本事件」の追悼碑を』 (中日新聞 1990.11.28)
・11・26意見交流会の報告 
・11・26交渉に対する教育委員会の回答
[回答1] 熊野市教育委員会委員長
[回答2] 熊野市立木本小学校長宛、熊野市教育委員会委員長
[回答3] 熊野市史の一部削除について、三重県熊野市教育委員会
・追悼碑の建立に向けた新たな動き−非公式折衝始まる
・日航機内誌における差別表現について
・また、やるんやないか? 
《新聞記事》
『韓人労務者虐殺事件 64年ぶりに真相あきらかに』 (中央日報 1990.8.18)
《韓国からの手紙》
 金蓬洙先生へ  
《資料紹介コーナー》 
 『六十三年後からの出発』
 『第一回 朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会 報告集』
 『ぽんそんふぁ』
・トッカビ子供会の“木本事件”フィールドワーク 作文第3集
 木本のこと (小学4年生)
 木本のこと (小学4年生)
 木本のこと (小学5年生)
・「奈良県での朝鮮人強制連行にかかわる資料を発掘する会」の活動について
《新聞記事》
『再び同じ悲劇を繰り返さぬよう』 (朝日新聞 1991.1.20)
・「木本事件」の寸劇について (三重大4年)
見てくれた人の感想 (小学生男子)
 やった人の感想 (三重大1年)
・「三重県在日朝鮮人史研究会」について
会報13号 1991年5月20日
・熊野市が追悼碑の建立に向けて前向きの姿勢を示す
・木本小学校長との面会
・4・14熊野市の人達との意見交流会
・谷川義一氏の訂正について
・建立する会の活動に参加して
・『木本小学校百年誌』の「鮮人騒動の記」について
 《A》熊野市立木本小学校長あての手紙
 《B》熊野市教育長、木本小学校長あての要望文
・トッカビ子ども会の“木本事件”フィールドワーク 作文第4集
 木本のこと (小学5年生)
 7.22、23、24日のこと(木本) (小学6年生)
 「木本」 (小学6年生)
 木本の勉強をして (小学6年生)
《新聞記事》
『熊野市 追悼碑建立許可へ』 (統一日報 1991.4.25)
・呼びかけ文への賛同とさらなる追悼碑カンパのお願い
・会費・会報購読料納入のお願い
・『六十三年後からの出発』(増補版)を読んでください
会報14号 1991年10月20日
・追悼碑建立に向けて具体的な検討に入る
・「イギユン氏・ペサンド氏の追悼碑を熊野市に建立する会」結成される
・10月7日、熊野市に提出した会の建立プラン(案)
[追悼碑建立の実現までに(案 要旨)] 熊野市長・熊野市教育長宛
・熊野市と当会との合意の確認
 [熊野市内区長会議(第1回)における報告内容] 
・パンフ『六十三年後からの出発』(増補版)の会計報告
・熊野現地調査報告 91.7.6.〜7.7
《新聞記事》
『碑文作り開始決定』(朝日新聞 1991.10.8.)
・戦後責任を考える−熊野現地調査に参加して−
・7月6日・ハタイ旅館会議の報告
・意見交流会報告(7月6日)
・極楽寺のふたつの「墓石」
・第二回『朝鮮人・中国人、強制連行・強制労働を考える全国交流会』の参加報告
 全体会と第9分科会に参加して
 「映像・ビデオの分科会」に参加して
  • 《新聞記事》
    『「木本事件」犠牲者追悼 建立へ具体化急ぐ』 (毎日新聞東海版 1991.10.8)
    ・会計報告
    ・『三重県史』、部分的に西暦使用
  • 会報15号 1992年5月10日
    ・追悼碑建立の予算、熊野市議会を通過 今年度内に建立が正式決定!
    ・四月九日熊野を訪れて
    ・昨年11月の熊野市との話し合い
    ・1991.11.24〜25の熊野市行きの報告
    ・『広報くまの』での市民への協力要請
     『犠牲者二人の追悼碑を』 (広報くまの 1991.11.5)
    《新聞記事》 
    『26年の同胞労働者虐殺「木本事件」 追悼碑建立へ検討作業』 (統一日報 1991.11.22)
    『三重の戦争14 朝鮮人労働者2人を虐殺』 (朝日新聞伊賀版 1991.12.13)
    『木本事件 追悼碑、来年予算で』 (統一日報 1991.11.27)
    ・碑の文案がまとまりました 
     [追悼碑文案(第一案)]
    ・パンフ会計
    ・敬洪さんに会ったときのこと
    ・『三重県史資料編』ができました
     『三重県史 資料編 近代4 社会・文化』p390-391
    《新聞記事》
     『三重県史 年号の表記を西暦に』(朝日新聞 1992.5.3)
    ・トッカビ子ども会の活動報告
     『チングワンハムケ なかまとともに』 (トッカビ子ども会 1990年度活動報告集)
     木本フィールドワーク日程表
    報告 木本フィールドワーク 7月22・23・24日三重県熊野市 同胞が殺された町をチョゴリで歩いて 私たちに受けつがれたもの
    ・「長生炭鉱事故」で犠牲になった、183人の朝鮮人・日本人を追悼する碑を!!
    《新聞記事》
    『鮮人(ママ)町民と 物凄い大爭鬪 三重縣木本町に起る』 (神戸新聞 1926.1.5)★と町民と 物凄い大爭鬪 三重縣木本町に起る』 (神戸新聞 1926.1.5)
    [新聞解説]
    『朝鮮人労働者の墓参り ひとり芝居の新屋英子さん』 (朝日新聞熊野版 1992.1.12)
    ・民族差別図書問題によせて
    ・結婚における民族差別と闘う会 裁判報告!
    ・『中国東北部にける抗日朝鮮・中国民衆史序説』キム チョンミ著、現代企画室
    会報16号 1992年7月25日
    ・追悼碑建立に向けて地元での折衝進む
    ・事務局の連絡先が変わりました
    ・三重県史の西暦採用実現する
    《新聞記事》
     『「木本事件」にふれた県史 年号表記は西暦使用』 (朝日新聞熊野版 1992.5.9)
    西暦採用をめぐる新聞の投書 (朝日新聞 声)
     『木本町鮮日人の血闘は日本人側が悪い/けんかの原因は面会にきた朝鮮人を明治座主人が先に切りつけたため』(時代日報 1926.1.6)
    (時代日報 1926.1.5)
    ・『六十三年後からの出発』をぜひ読んで下さい
    ・会計報告
    《会員からの便り》
    ・12月、追悼碑除幕式(予定) イギユン氏とペサンド氏の追悼碑建設に最終カンパを!
    ・熊野市民に浄財を呼びかける趣意書の文案
    木本事件犠牲者追悼碑建立への想い 「趣意書」に代えて・・・(熊野市にペサンド氏・イギユン氏の追悼碑を建立する会)
    ・金靜美さんの訪中のための再入国許可をかちとる
     経過報告(結婚における民族差別と闘う会)
    《新聞記事》
     『朝鮮人追悼碑の年内建立へ 木本事件を教訓に人権尊重を誓う』 (朝日新聞三重版 1992.6.9)
    会報17号 1993年2月25日
    《表紙》
    *熊野市が碑文案で、われわれに「謝意」を要求
    *殺害の事実関係をあいまいにし、追悼碑建立の日を「吉日」とする
    *朝鮮人差別をかくし、人権問題に一般化
    *行政の責任を回避し、謝罪を拒否
    ・去年10月28日までの碑文作成の経過
    ・熊野市が提案する碑文(案)の内容と、追悼碑建立の方向性について
    ・力関係や民主主義
    ・わたしたちは、どこにいたのか ―本当の追悼碑を一日もはやく建立するために―
    ・10月28日ののち
    ・熊野市民の「市民感情」について ―「吉日」と「異常なまでの警戒心」ということばがなぜでてくるのか―
    ・これからどうするのか 
    民衆のちからをさらにあわせ、1日もはやく熊野に追悼碑を建立しよう
    熊野の追悼碑は、日本人に殺されたアジア太平洋民衆の碑のひとつ
    《資料》
     碑文案
    熊野市がだしたもの(1992年10月28日)
    「イギユン氏・ペサンド氏の追悼碑を熊野市に建立する会」の地元会員の一人がだしたもの(1992年11月3日)
    三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(イギユン・ペサンド)の追悼碑を建立する会の案(1992年11月3日)
    ・ほんとうの追悼碑の建立をいそごう!
    ・追悼碑カンパが、140万円を超えました
    ・事実をまっすぐ受けとめる勇気をもってほしい
    《新聞記事》
    『暴行鮮人団を隧道に追込む』 (福岡日日新聞 1926年1月5日)
    『残党は山に逃げ鮮人騒ぎ一段落』 (福岡日日新聞 1926年1月6日)
    ・なぜ私はこの会に参加するのか
    ・ヨーロッパで考えた追悼碑建立の意味
    会報18号 1993年7月20日
    ・熊野市は「敬洪さんに、謝罪せよ!
    ・謝罪もせず、土地もださず、資金(市民カンパ、補助金200万円)もださず 昨年11月から、熊野市、会議に出席せず
    ・木本事件年表
    ・熊野市の姑息さ 「謝罪しなければならないものに、逆に礼を言わせる碑文」を熊野市は、いかに実現しようとしたか! 
    ・木本トンネルの幽霊 
    ・ロスアラモスと熊野市
    ・追悼碑のデザインをかんがえてください
    《新聞記事》
    『「原爆の子の像」姉妹碑建立 小学生の熱意に反発』
    ・車いす族の視点
    ・侵略・強制連行・公害――紀和町の紀州鉱山と四日市市の石原産業のこと――
    ・姜富中さんのねがいを、ともに
    ・イギユン氏・ペサンド氏の追悼碑建立に、協力をお願いします
    ・『サイ』第7号(1993年6月)を読んでください
    ・追悼碑カンパが、約160万円になりました
    ・会計報告
    ・多文化社会の共生を求めて―ヨーロッパで考えたこと― 
    ・第4回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会を前にして
    会報19号 1994年4月2日
    ・これからの予定
    ・私たちの会で、追悼碑の建立を!
    ・会独自の追悼碑建立について地元の理解を得る
    ・「熊野市の会」に建立費の基金カンパの提供を求め、承認される
    ・「熊野市に建立する会」は、2月26日の話し合いにもとづき、熊野市にたいして、以下のような要望と話し合いの要求をおこないました。
     [要求書] 熊野市長・熊野市教育長宛(イギユン氏・ペサンド氏の追悼碑を熊野市に建立する会)
    《新聞記事》
    『追悼碑、独自で建立へ 碑文案で熊野市と対立』 (毎日新聞 1994.3.24)
    ・「慰安婦」犯罪責任者への告訴・告発の不受理に抗議する
    ・東京にアイヌ料理店「レラ・チセ(風の家)」が出来る!異民族交流の拠点に 
    ・会計報告
    ・パンフ(六十三年後からの出発)会計報告
    会報20号 1994年7月3日
    ・追悼碑建立最終段階へ 除幕式は10月16日(日)に決定!
    ・4月以降現在までのスケジュール
    ・これからのスケジュール
    ・追悼碑除幕式実行委員会にご協力を! 7月17日(日)津市橋北会館(津駅そば)
    ・起工式行われる
    ・追悼碑完成予定図(1994.6.29.作図)
    ・イギユン氏・ペサンド氏へ (三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(イギユン・ペサンド)の追悼碑を建立する会)
    ・会計報告
    [碑文 最終案] (三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(イギユン・ペサンド)の追悼碑を建立する会)
    ・尹奉吉・イギユン・ペサンド―神岡の石を熊野に― (キム・チョンミ)
    ・基金カンパの提供をめぐって 熊野市との話し合い
     イギユン氏・ペサンド氏の追悼碑を熊野市に建立する会様 (熊野市「碑建立」事務局)
     1994年5月30日付の熊野市「碑建立」事務局の回答について (イギユン氏・ペサンド氏の追悼碑を熊野市に建立する会)
    《会員からの便り》
    ・まさかマルコムXが映画化されるとは思わなかった私がつらつら思ったこと
    会報21号 1995年2月20日
    《表紙》
    68年後の追悼
    [イラスト] 追悼碑と木本トンネル
    ・除幕式
    ・「あわの一粒一粒がぜんぶ・・・・」 除幕式集会でのペチョリョン氏のあいさつ
    ・碑のまわりに花を 除幕式に寄せられた?敬洪氏のことば
    ・追悼碑除幕式集会の報告
    《新聞記事》
    『虐殺された朝鮮人の追悼碑 日本で除幕』 (釜山日報 1994.11.25)
    ・追悼碑が建って
    ・追悼碑建立関係の会計報告
    ・お願い
    ・会計報告
    ・追悼碑の維持と第二の追悼碑について
    会報22号 1995年10月15日
    ・1995年6月14日未明 ペギョンホン氏が亡くなられました
    ・ペギョンヒン氏 追悼
    ・極楽寺の「墓石」を移転する―「墓石」の展示とレプリカ(複製)の製作へ―
    ・熊野市との話し合い
     [熊野市長の回答]
    ・熊野市による『熊野市史』の訂正
     [「熊野市史」の一部削除及び訂正について] (三重県熊野市教育委員会)
     [「熊野市史」削除及び訂正の通知先(団体のみ)]
    《新聞記事》
     『木本事件被害者2人の墓石贈る 大阪の人権博物館に』 (産経新聞 1995.10.2.)
    ・1995年活動の記録
    ・熊野・紀和町・新宮への現地調査へのご案内
    ・第6回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会に参加して
    ・「木本事件」関係資料
    《新聞記事》
     『木本事件犠牲者の追悼碑除幕 韓国在住の遺族も参列 歴史的事実解明へ一歩』 (社会新報東海版 1994.12.2.)
    会報23号 1996年2月18日
    ・1996年。木本虐殺事件70年。熊野市に対する怒りをあらたに!虐殺の責任は、どこに?
    ・イギユン氏とペサンド氏の追悼式を行う 
    ・熊野・紀州鉱山現地調査の報告
    ・『熊野・紀州鉱山・新宮現地調査資料集』を読んでください
    ・熊野市教育委員会が市立図書館における当会の資料の展示を拒否
     [熊野市教育委員会より届いた展示拒否の文書]
     [会からの質問書]
     [熊野市教育委員会からの回答] 
    ・追悼碑建立1年後、熊野市図書館で 熊野市と熊野市教育委員会は、木本事件の事実を隠すな!
    ・『熊野市史』の「削除」と「訂正」
    《紹介》
    『石の証言――宮崎「平和の塔」をさぐる』 
    ・会計報告
    ・墓石のレプリカ設置
    ・イギユン氏、ペサンド氏の「墓石」展示について (大阪人権博物館)
    会報24号 1996年10月25日
    ・11月16日の追悼集会に参加を!11月17日の現地調査に参加を!
    ・追悼碑の建立と歴史教育を考える集い
    ・身近な地域の歴史の学習と教材
    《新聞記事》
    『「民族差別正す子らに育って」』 (朝日新聞三重版朝刊 1996.5.31)
    ・「追悼碑の建立と歴史教育を考える集い」への参加よびかけ文より
    ・この「事件」と碑の建立が、小学生の教材になり得るか 
    ・1996年夏、ペサンド氏とイギユン氏の故郷で
    ・紀州鉱山に強制連行されていた朝鮮人
    ・11月17日(日)、紀州鉱山の現地調査に参加してください
    ・第7回朝鮮人・中国人の強制連行・強制労働を考える交流集会で
    ・差別語と歴史観 
    ・『パトローネ 民衆の生活と闘いを写真に残そう!』
    ・第7回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会(岐阜集会)に参加して
    ・「追悼碑の建立と歴史教育を考える集い」の感想
    ・インターネットで6月9日の集会のことを伝えてくださった方へ (事務局)
    会報25号 1997年3月16日
    《表紙》
    熊野市は事実を市民に伝えよ!熊野市は行政責任をとれ!
    [写真] 旌善の三峰老人会館で
    ・第3回の追悼集会開かれる
    ・紀州鉱山の「現地調査」の『資料集』を読んでください
    ・『文学者の侵略責任と藤岡皇国史観』 
    ・イギユン氏とペサンド氏の追悼集会の感想
    ・追悼集会に参加して
    ・熊野市に『熊野市史』の書き換え、および図書館の資料コーナー設置について再度の要望書を提出
    [抗議・要請文] 熊野市長・熊野市教育長宛
    [熊野市長の回答]
    [『熊野市史』における「木本事件」の記述の訂正についての要望] 熊野市長・熊野市教育長宛
    [熊野市立図書館における「木本事件」の資料展示コーナーの設置の要望] 熊野市立図書館長・熊野市教育委員会
    [全国図書館大会 第9分科会(図書館の自由)]
    ・紀州鉱山第2回「現地調査」
    ・麟蹄で 
    ・旌善で
    ・紀州鉱山の強制連行の実態を調査する会発足される
    ・朴慶植先生からのメッセージ
    《新聞記事》
    紀州鉱山の強制労役を明らかにする (東亜日報 1997.3.1)
    ・紀州鉱山への朝鮮人強制連行状況 
    ・紀州鉱山への連行年表
    ・『パトローネ』を読んでください
    ・[図] 紀州鉱山への朝鮮人強制連行
    《新聞記事》
    『旧紀州鉱山で聞き取りや資料集め強制連行の実態旧鉱山に尋ねる』(朝日新聞三重版朝刊 1996.11.22.)
    『戦時中の紀州鉱山 朝鮮人労働者延べ875人』 (中日新聞三重版 1996.12.15)
    『紀州鉱山“陰の歴史”に光 歴史研究家ら来月9日、調査会設立』 (中日新聞 1997.1.20)
    『旧石原産業紀州鉱山の朝鮮人連行 実態解明へ調査会』 (朝日新聞三重版朝刊 1997.2.5)
    会報26号 1997年10月19日
    《表紙》
    熊野市は事実を市民につたえよ!熊野市は虐殺の行政責任をとれ!『熊野市史』を書きかえよ!
    [写真] 江原道昌平
    ・追悼碑の建立と日本民衆の歴史認識の変革について (三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(イギユン・ペサンド)の追悼碑を建立する会)
    ・熊野市との交渉経過
    [熊野市長の回答]
    [熊野市教育長の回答]
    [再要望書] 熊野・熊野市教育長宛
    [再要望書] 熊野市立図書館長・熊野市教育委員会宛
    [熊野市教育長の再回答]
    [熊野市長・教育長の再回答]
    ・強制連行させられた朝鮮人の故郷と朝鮮人が強制労働させられた地域を結ぶ民衆のネットワークを! 
    《新聞記事》
    (江原道民日報 1997.8.9)
    (ソウル新聞 1997.8.15)
    ・麟蹄と平昌で 
    ・江原道平昌を訪れて 
    ・私の聞き取り体験―紀州鉱山に連行された人々の聞き取り調査に参加して― 
    ・「全国」という思想について (佐藤正人)
    ・日本の侵略の歴史を知るわかやまの会が発足しました
    ・現在と未来の日本の侵略を阻止するための私見
    《新刊紹介》
     季刊『パトローネ』31号(1997.10.1刊)
     『在日朝鮮人史研究』27号(1997.9.20刊)
     『キョレイ通信』5号(1997.8.15刊)
    ・会計報告
    ・会からのお願い
    会報27号 1998年3月15日
    《表紙》
    朴慶植先生が2月13日未明、交通事故で亡くなられました。
    [写真] 追悼碑前で
    ・4度目の追悼集会が開かれる
    ・イギユン氏とペサンド氏の追悼集会を行う
    ・第3回紀州鉱山「現地調査」
    ・追悼集会・現地調査の感想
    ・熊野市との交渉経過
     [抗議・要請文] 熊野市長・熊野市教育長宛
     [熊野市長・熊野市教育長の回答]
     [再要望書] 熊野市長・熊野市教育長宛
    ・朴慶植さんの追悼
     笑顔が忘れられない朴慶植さん
     追悼集会の夜の朴慶植先生を囲む出会いから
     朴慶植先生へ
    歴史研究と運動の場で
     朴慶植先生と強制連行の調査について
     追悼碑を支えてくださった朴先生
     追悼
     朴慶植さんの不慮の死に寄せて
    《新聞記事》
    『何を語る朝鮮人遺骨 紀州鉱山の地で市民グループ発見』 (中日新聞三重版 1997.11.21)
    『「木本事件」碑補助金6年宙に浮いたまま』 (中日新聞 1997.12.10)
    『「木本事件」の悲劇 かみしめ追悼集会 熊野』 (中日新聞紀州版 1997.11.16)
    会報28号 1998年10月18日
    ・第5回追悼集会に参加を!三グループ共催による会結成10周年記念集会 紀州鉱山に関する紀和町交渉
    ・スケジュール
    ・納得のゆかない熊野市の対応―あいまいな回答と取材の拒否―
     [熊野市長・熊野市教育長の回答]
    [要請文] 紀和町長・紀和町教育長宛 (紀州鉱山の真実を明らかにする会)
    ・海南島の田独鉱山と紀伊半島の紀州鉱山
    ・『パトローネ』を読んでください
    ・紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の故郷の地図
    ・慶尚北道安東郡・軍威郡の聞き取り調査報告 
    ・海南島でのこと
    ・韓国でのこと 
    ・紀州鉱山
    ・聞き取りを終えて
    [写真] 軍威郡召保面の老人会館で
    ・安東MBC 訪日取材
    ・第9回 朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会報告)
    ・第9回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会5分間のスピーチ原稿
    ・第3分科会「木本事件について、なぜ、どんな、調査・保存が必要か。」 
    《新聞記事》
    『紀州鉱山の歴史“発掘”を』 (中日新聞 1998.)
    『紀州鉱山 強制連行の実態報告会』(1998.8.31)
    ・訃報
    ・[写真] 追悼碑除幕式後の交流会で、歌をうたう朴慶植先生
    《新聞記事》
    『韓国の戸籍で「死亡」の記述 戦時中の紀州鉱山で「逃亡」の男性』 (中日新聞牟婁版 1998.9.20)
    会報29号 1999年3月21日
    《表紙》
    [写真] 熊野市に抗議要請文を手渡す会のメンバー
    ・イギユン氏とペサンド氏の追悼集会、「建立する会」結成10周年集会を行う
    ・紀和町との話し合いに大きな成果
    ・第4回紀州鉱山「現地調査」
    [抗議要請文] 熊野市市長・熊野市教育長宛
    [熊野市長・熊野市教育長の回答]
    ・「告発の言語」に応える思想があるか
    ・追悼集会と現地調査に参加して
    ・「木本事件」についての企画展を大阪人権博物館にて開催します!・会計報告
    ・会からのお知らせ
    ・日本の侵略の歴史を知るわかやまの会からのお知らせ
    ・ドキュメンタリー上映案内『紀伊半島に隠された真実』
    会報30号 1999年10月20日
    《表紙》
    熊野から朝鮮人虐殺を問う
    ・《木本事件》の企画展がリバティおおさかで開催されました 
    ・「“木本事件”を語り継ぐ」 
    ・“木本事件”を語り継ぐ 1999年7月24日リバティおおさかで
     ぼくの思いは生涯のこるだろうか
    展示室の「感想ノート」 そして展示担当者の一人としての「感想」 (大阪人権博物館)
    ・「朝鮮人墓地の慰霊祭実施について」について (紀州鉱山の真実を明らかにする会)
    ・紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を日本人が「慰霊」するとは?
     (紀州鉱山の真実を明らかにする会)
    ・第10回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える交流集会九州実行委員会の「よびかけ」と「ご案内」に示された根深い日本ナショナリズム克服のために
    ・「10年目の幕」は正しい選択か 「第10回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会inきゅうしゅう」に参加して (日本の侵略の歴史を知るわかやまの会)
    ・宮森幹男さんが突然いなくなった
    ・宮森幹男さんを偲ぶ会
    ・朴慶植先生追悼論文集『近現代韓日関係と在日同胞』(ソウル大学出版部 1999.8)
    会報31号 2000年3月19日
    《表紙》
    [写真] 極楽寺で
    ・イギユン氏とペサンド氏の追悼集会を行う
    ・昨年(1999年)4月、紀和町板屋の共同墓地で紀南国際交流会は、何を「実施」したのか?
    ・熊野市への申し入れ
    熊野市の回答
    紀和町教育長への申し入れ
    山口善秋さんからの聞き取り
    ・差別戒名について (足立知典 極楽寺住職)
    [抗議・要請文] 熊野市長・熊野市教育長宛
    [要請文] 紀和町長・紀和町教育委員長宛 (紀州鉱山の真実を明らかにする会)
    [公文書公開請求にたいする回答] (熊野市長)
    [公文書公開請求書] 熊野市長宛
    《新聞記事等》
    『無縁の塔 揺れる朝鮮人の慰霊』 (中日新聞 1999.8.14)
    『虐殺の朝鮮人追悼』 (中日新聞 1999.11.22)
    『「木本事件」で惨殺の朝鮮人労働者を追悼』 (中日新聞 1999.10.26)
    『依然タブー視される「木本事件」の追悼集会』 (週刊金曜日 1999.12.3号)
    ・会計報告・会からのお知らせ
    ・日本の侵略の歴史を知るわかやまの会からのお知らせ
    会報32号 2000年10月20日
    イギユン氏とペサンド氏の追悼集会のご案内
    ・イギユン氏とペサンド氏の墓石
    ・「追悼碑を建立する会」のホームページを開設しました
    ・「木本事件」のパンフレットを作成中
     パンフレット案 『紀伊半島・海南島の朝鮮人』―木本トンネル・紀州鉱山・朝鮮村―
    ・小樽市と熊野市における民族差別
    《新聞記事》
    『労働の跡、今は廃墟 収容所があった村』 (伊勢新聞)
    ・田辺海兵団のことを知っていますか
    ・海南島での聞き取り調査
    ・「石原都知事の三国人差別発言」と「関東大震災朝鮮人虐殺事件」と木本と「北朝鮮への食料支援反対の声」について思うこと)
    《新聞記事》
    『「外国人不法滞在者が治安乱す」小樽市がHP掲載 市民団体指摘で削除』 (朝日新聞夕刊 2000.7.25)
    7月24日の夕刻削除された小樽市のホームページ
    会報33号 2001年3月30日
    《表紙》
    [写真] お二人の新しい「墓」の建立式(極楽寺墓地)
    ・仏陀の法孫として
    ・2000年11月、7回目の追悼集会を行う
    ・熊野市で写真パネル展実現する
    ・「素朴な愛町心の発露」という暴力の根
    ・75年目に取り戻した自分の名のもとで眠る韓国人―‘木本事件’で虐殺されたイギユン氏・ペサンド氏―
    [抗議・要請文] 熊野市長・熊野市教育長宛
    [熊野市長・熊野市教育長の回答]
    《新聞記事》
    『熊野で「木本事件」の追悼集会 2霊安らかに』 (伊勢新聞 2000.11.19)
    『木本事件 『本名』の墓石にめい福祈る』 (中日新聞 2000.11.19)
    『木本事件のパネル展始まる 熊野市民会館で』 (吉野熊野新聞 2000.11.19)
    『木本事件の資料40点 大正15年朝鮮人殺害・追悼集会』 (南紀新報 2000.11.19)
    『写真で見る木本事件 当時をしのぶ22点展示』(読売新聞 2000.11.18)
    ・海南島・「朝鮮村」で 2001年1月 
    ・『パトローネ』を読んでください
    《新聞記事》
    『本名刻んだ墓で安らかに』 (中日新聞 2000.11.16)
    ・会計報告
    会報34号 2001年10月30日
    ・イギユン氏とペサンド氏の追悼集会のご案内
    ・木本事件を知って
    ・大阪産業大学の市民講座で会の運動を報告 
    ・教科書問題が問いかけるもの
    ・聞き取り調査の報告 
    ・9・11事件と民衆運動
    ・「報復戦争」を許さない市民抗議行動 市民討論集会と在札幌アメリカ合州国領事館へのデモ
    《新聞記事》
    『攻撃の中止訴える 道内団体』 (北海道新聞 2001.10.9)
    『これ以上民衆の血流すな』 (北海道新聞 2001.10.10)
    『米総領事館に市民団体抗議 札幌で空爆反対集会』 (朝日新聞 2001.10.10)
    『報復は連鎖を招く 米空母に反対する市民の会 佐藤正人さん』 (北海道新聞 2001.10.21)
    会報35号 2002年3月20日
    ・第8回木本事件追悼集会報告
    ・8回目の追悼集会―同じ場所で同じ想いを― 
    ・極楽寺にて
    ・木本事件パネル展から 
    ・第2回「木本事件」写真パネル展での感想
    ・熊野市と紀和町への要請文について
     [抗議・要請文] 熊野市長・熊野市教育長宛
     [熊野市からの回答]
    [「紀州鉱山の真実を明らかにする会」の要請文] 紀和町長・紀和町教育長宛
     [紀和町からの回答]
     [紀州鉱山の真実を明らかにする会からの「要請および質問」] 紀和町長・紀和町教育長宛
    ・聞き取りで知る強制連行の歴史
    会報36号 2002年10月21日
    ・イギユン氏とペサンド氏の追悼集会のご案内
    ・熊野市からの奇妙な申し出について
     [新屋英子さんの寄付金について] (熊野市長・熊野市教育長)
     [新屋英子さんの寄付金について] 熊野市長・熊野市教育長宛
    ・ブックレットがついに完成しました
    ・海南島の朝鮮人犠牲者の遺骨発掘調査を韓国大統領に要望する
    [金大中大統領への手紙] (紀州鉱山の真実を明らかにする会)
    ・歴史教育者協議会の現地見学に参加して 
    ・三重県人権フォーラムのパネル展について
     [三重県人権フォーラム実行委員会事務局からの出展を拒否する通知]
     [写真パネル出展の却下に対する質問]
    ・在日朝鮮人に対する暴行事件の発生に防止の要望書を提出
     [朝鮮人学校の児童生徒に対する暴行事件発生の防止について(要請)] 三重県知事他宛 
    ・海南島調査に参加して
    ・海南島調査に参加して
    ・会計報告
    会報37号 2003年5月3日
    《表紙》
    あらたな侵略の時代に抗する民衆運動を共に!
    ・大阪人権博物館での企画展
    [趣旨(案)]
    ・2002年の追悼集会に参加して 
    ・熊野市との話し合い 
    ・ブックレット会計
    ・ブックレット(主に木本事件)の感想 
    ・和歌山での反戦市民抗議行動 
    ・ぼくの戦争反対、みんなの戦争反対―イラク攻撃反対デモに参加して思ったこと
    《わたしたちの会の海南島の調査活動を報じる現地新聞の記事》
    (海南日報 2003.3.28)
    (海南日報 2003.3.31)
    ・拉致事件に対する日本政府の姿勢とマスコミ報道について思うこと 
    会報38号 2003年11月1日
    《表紙》
    イギユン氏とペサンド氏の10回目の追悼集会です!
    ・2003年夏、KBS関西・海南島取材 (キム)
    ・紀南高校の職員研修で「木本事件」の学習会を開催 (三重県紀南高校、人権同和教育推進委員)
    ・海南島の聞き取り調査に同伴して (大阪にて)
    《「朝鮮村」の朝鮮人虐殺と追悼碑について報ずる『海南日報』》
    (海南日報 2003.4.4)
    《『海南日報』(海南島の地元新聞)が当会の調査活動を取材する》
    (海南日報)
    《上記新聞の日本語訳》
    『日韓学者は海南島における日本軍の侵略犯罪の調査』
    ・世界人権宣言55周年記念の「第4回みえ人権フォーラム」のブースに「木本の会」から、「木本事件」の写真を出典します。
    [出典の趣旨]
    会報39号 2003年12月25日
    《表紙》
    [写真] 廃墟となった南渡江鉄橋
    ・11月22〜23日の追悼集会・写真パネル展に参加して
    ・無関心・無知・傍観は不正義の共犯者 1926年、木本事件(三重県)朝鮮労働者虐殺事件に寄せて
    ・無念の想いに涙する! 1926年『木本事件(三重県)』の犠牲者 イギユン氏・ペサンド氏2003年追悼集会に初めて参加して
    ・熊野市に抗議要請文を送付
     [抗議要請文] 熊野市長・熊野市教育長宛
    ・人権フォーラムみえの写真パネル展
    ・日本に対する印象
    ・会計報告
    ・「朝鮮村」発掘協力基金
    ・韓国で日本による海南島侵略の企画展を開催
    紀州鉱山の真実を明らかにする会 創刊号 2004年6月28日
    ・海南島「朝鮮村」遺骨「発掘」にむけて引き続き ご協力をお願いします
    会報40号 2004年11月1日
    ・追悼碑のまえで 
    [熊野市の回答]
    ・太平寺夜間中学校の人たち 熊野一泊校外学習に同行して
    ・ドキュメンタリービデオ京都上映会を行っての感想
    ・幸運に恵まれたビデオ制作
    ・「日本が占領した海南島で」を大学生はどう見たか 
    ・ドキュメンタリー・ビデオ『日本が占領した海南島で』販売いたします
    ・特別展『海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』 韓国の独立紀念館で開催中(2004年10月15日〜11月21日)
    ・「朝鮮村」発掘・鑑定の展望 (紀州鉱山の真実を明らかにする会)
    ・「南方派遣朝鮮報国隊」の真相究明にかんする要請・大阪人権博物館における企画展の中止について 
    会報41号 2005年5月1日
    ・会員として思うこと
    ・真実を伝えたい……
    ・三重県人権フォーラムに、”木本事件“の写真を出展しました
    ・ドキュメンタリー・ビデオ『日本が占領した海南島で』を観て
    ・“こころして墓標を残す”――『日本が占領した海南島で』を見て
    ・海南島戦時性暴力被害訴訟 林亜金さん、張応勇さんが東京地裁で証言
    ・韓国(西大門刑務所歴史館と独立紀念館)で特別展開催
    ・朝鮮と日本のあいだの海の呼称について
    ・8回目の海南島“現地調査”
    ・日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会との話し合い
    ・海南島と“カラフト”における朝鮮人虐殺の真相糾明
    ・佐世保で  2005年4月
    ・『伊勢新聞』05年1月5日記事「熊野から惨劇発掘 朝鮮植民地化100年 民族差別明るみに 青年2人惨殺 木本事件刻む碑」
    会報42号 2005年11月10日
    ・熊野市への抗議・要請文
    ・熊野市の回答
    ・熊野市の回答にたいする、追悼碑を建立する会の批判
    ・大韓民国民団三重連合会との、本龍寺に残されている朝鮮人遺骨についての話し合い
    ・浅茅野旧共同墓地での遺骨発掘
    ・猿払村浅茅野の遺骨はだれか?
    ・第9回海南島“現地調査”
    ・2005年9月海南島で
    ・『伊勢新聞』のドキュメンタリー紹介記事
    ・四日市市と大阪での上映会
    ・犬山上映会のこと
    ・東京三鷹市での対話フォーラム実行委員会主催の上映会
    ・『週刊金曜日』のビデオ紹介
    会報43号 2006年3月1日
    ・『熊野市史』書きかえなど、公開で熊野市に抗議・要請。
    ・紀州鉱山で死亡した朝鮮人労働者とその家族の本籍地などの調査・開示を要請。
    ・「2005年の追悼集会に参加して」。
    ・「2005年冬 韓国で」。
    ・「大阪人権博物館の総合展示がリニューアル」。
     改装した大阪人権博物館の“木本事件”にかんする新展示。
    ・「第10回海南島“現地調査”と“朝鮮村発掘”の展望」。
    ・新ドキュメンタリー『朝鮮報国隊』制作開始。
    ・「2005・9・28裁判傍聴記」。
    ・「海南島戦時性暴力被害訴訟」口頭弁論と証言集会。
     3月8日13時半から、原告の陳亜扁さんが証言します。
            18時半から、陳亜扁さんを囲んで証言集会。 
    ・「だから私は正義を訴える 張応勇さんの思い出」。
    ・丹波マンガン記念館特別展示:「日本は海南島でなにをしたのか」。
    ・2005年9月第9回海南島「現地調査」関係新聞記事。
    ・『伊勢新聞』05年12月17日記事「中国・海南島占領の実態暴く」。
    ・『中日新聞』06年2月15日記事「記録にない朝鮮人殉職 市民団体が調査要請」。
    会報44号 2006年11月10日
    ・「木本虐殺(熊野虐殺)80年後」。
    ・熊野市への公開抗議要請経過報告。
    ・「“朝鮮村試掘”の経緯」。
    ・紀州鉱山の真実を明らかにする会 「“朝鮮村試掘”にいたるまで」。 「“朝鮮村試掘”の目的」。
    ・「初めての海南島訪問で考えたこと」。
    ・「海南島で 2005年9月」。
    ・「海南島戦時性暴力被害訴訟判決報告」。
    ・「集会“戦場における死 その責任をめぐって”」。
    ・「高麗博物館特別展示“海南島で日本は何をしたか”」。
    ・「『日本が占領した海南島で』伊賀上映会」。
    ・「 オタルで特別展“海南島で日本はなにをしたのか”」。
    ・「“第7次朝鮮報国隊”隊長衣笠一氏のこと」。
    ・「日本軍と戦った人たち 第10回海南島“現地調査”報告」。
    ・「日韓学者来瓊尋訪日軍罪証」(『海南日報』2006年3月24日)。
    ・「海南島 無念の骨探る」(『朝日新聞』西部版2006年4月4日夕刊)。
    会報45号 2007年5月25日
    《表紙》
    「足跡」。
     ・「“木本事件”80年後の追悼集会」。
     ・「2006年追悼式に参加して」。
     ・「追悼集会報告(2006年12月2日〜12月3日)」。
     ・2006年追悼集会参加者一同「熊野市に対する公開抗議要請文」(2007年1月)。
     ・熊野市長・熊野市教育長「公開抗議要請に対する回答」(2007年2月)。
     ・2006年追悼集会参加者一同「抗議文」(2007年3月)。
     ・「大阪の上映会の報告」。
     ・「三重県名張市の上映会の報告」。
     ・「“海南島展”終えていま」。
     ・「海南島から生還できた“朝鮮報国隊”の人たちを尋ねて」。
     ・「元日本海軍海南警備府海軍巡査の証言」。
     ・「日帝強占下強制動員被害真相究明委員会は、“真相調査”を完了したのか」。
     ・「第12回海南島“現地調査”報告」。
     ・写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』完成。
    会報46号 2007年7月7日
    《表紙》写真:朱学平さんと子どもたち 月塘村で。
    ・海南島近現代史研究会創立集会のご案内。
    ・海南島近現代史研究会会則(案)。
    ・第13回海南島「現地調査」報告。
    ・『南国都市報』5月24日記事「13次来瓊調査日軍侵瓊真相」。
    ・写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』を見て
     「“侵略犯罪に時効はない!”とする立場からの歴史証言」。
    ・写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』を見て
     「写真の古老たちに勇気づけられる思いがします」。
    ・『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』桑名上映会報告。
    ・月塘村でドキュメンタリー『月塘村惨案』制作。
    ・日帝強占下強制動員被害真相究明委員会の「‘南方派遣報国隊’真相調査報告書」について。
    ・万城鎮月塘村全村民の「要求日本国政府賠償請願書」。
    ・「海南島におけるアヘン栽培」。
    ・会計報告。編集後記。
    会報47号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報2号 2007年11月9日
    《表紙》李基允さんと「相度さんの追悼集会の案内。追悼碑写真(カラー)
    ・熊野市への要望書
    ・「熊野市の話し合いの拒否に強く抗議する」
    ・「この運動に初めて参加して」
    ・「ヨ チャボンさんの証言」
    ・「写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』を読んで 歴史再考の旅立ちへ誘われる」
    ・「海南島報告」
    ・ 海南島近現代史研究会「海南島近現代史研究会が創立されました」
    ・ 第1ドキュメンタリーの紹介、写真集の紹介、『パトローネ』特別号の紹介
    ・ 裏表紙:『‘朝鮮報国隊’』・『海南島月塘村虐殺』(カラー)

    ・同封チラシ1 追悼集会の案内
     紀州鉱山追悼集会の案内(「紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人を追悼するはじめての集会をおこないます」)
    ・同封チラシ2 月塘村追悼碑建立第2期基金要請文
     海南島近現代史研究会の案内(「海南島近現代史研究会に入会を」)

    会報48号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報3号 2008年2月25日
    《表紙》紀州鉱山で働かされた人の故郷(江原道)、紀州鉱山選鉱場跡
    ・紀州鉱山の真実を明らかにする会「紀州鉱山の真実」
    ・「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人 」
    ・「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する集会までの道程」
    ・「埋もれた歴史を明らかに」
    ・年表・紀州鉱山史(抄)
    ・「紀州鉱山に強制連行された人たちの故郷へ」
    ・「麟諦からの10年」
    ・「熊野市との話し合い」
    ・「2007年 イギユン氏・ペサンド氏の追悼式」
    ・「2007年の追悼集会に参加して」
    ・「海南島展」と私の“宿題”」
    ・「横浜の外人墓地で」
    裏表紙  板屋の共同墓地内にある「無縁塔」
          朝鮮人労働者の墓石と言われている石
          慈雲寺本堂に置かれている「紀州鉱業所物故者諸精霊」
          『紀州鉱業所物故者霊名』(朝鮮人の名も記されている)
          本龍寺に残されていた朝鮮人の遺骨
          1943年に石産業が建てた「慰霊塔」
          紀州鉱山坑道(湯の口付近)
          板屋の朝鮮人労働者宿所跡
          筑後の朝鮮人労働者の宿所跡
    会報49号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報4号 2008年8月20日
    《表紙》江原道麟蹄郡麟蹄邑を流れる昭陽江(ソヤンガン)
    ・「紀州鉱山でのはじめての追悼集会」
    ・「屋内追悼集会の報告」
    ・「日帝強占下強制動員被害真相究明委員会から」
    ・「追悼集会に参加して」
    ・「3月9日の追悼集会に参加して」
    ・【新聞記事】『紀南新聞』(2008年3月14日)
            『読売新聞』(三重版)(2008年3月9日)
            『日刊熊野新聞』(2008年3月5日)
    ・「紀州鉱山に強制連行された人たち 故郷で 麟蹄・平昌・安東・軍威」
    ・「2008年春 紀州鉱山に強制連行された人たちの故郷で」
    ・「紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の故郷の地図」
    ・「紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人の追悼碑建立にかんする要望書」
    ・「熊野市長・熊野市教育長からの回答」
    ・「『海南島近現代史研究』が創刊されました」
    《裏表紙》追悼のことば
          紀州鉱山で亡くなった人たち
    会報50号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報5号 2008年11月4日
    《表紙》木本トンネルイラスト、追悼碑、称名寺、笛吹橋
    ・「会が出発してから20年」
    ・「碑文」
    ・「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会 発会式にいたるまで」
    ・「熊野市との話合いについて(報告)」
    ・【新聞記事】『伊勢新聞』(2008年9月1日)
           『朝日新聞』(三重版)(2008年9月1日)
           『読売新聞』(三重版)(2008年9月1日)
           『毎日新聞』(三重版)(2008年9月1日)
    ・「石原産業との話し合い」
    ・「聖公会平和学習委員会の方々と木本、紀州鉱山に行きました」
    ・「海南島とベトナム」
    ・「海南島近現代史研究会第2回総会の報告」
    ・「月塘村村民の日本政府への要求書を送付する」
    ・「会の20年、わたしの20年」
    会報51号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報6号 2009年8月25日
    《表紙》紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑のある風景(絵)
    ・斉藤日出治「15回目の追悼集会」
    ・パクリョンヒ「李基允氏と「相度氏の追悼集会、そして紀州鉱山の跡を訪ねて」
    ・2008年秋追悼集会・紀州鉱山「現地調査」新聞記事
          『紀南新聞』
          『中日新聞』
          『毎日新聞』
    ・佐藤正人「2008年秋、紀州鉱山「現地調査」報告」
    ・竹本昇「追悼碑を建立する土地のこと  場所、入手経過など」
    ・竹本昇「熊野市に対する要求と熊野市の回答」
    ・POW(戦争捕虜)研究会 笹本妙子「入鹿収容所と“史跡外人墓地”」
    ・POW(戦争捕虜)研究会提供
        大阪俘虜収容所第16分所→名古屋俘虜収容所第4分所(入鹿)」の死者名簿
        大阪俘虜収容所第17分所→名古屋俘虜収容所第5分所(石原産業四日市工場)の死者名簿
    ・ア久保雅和「妙法鉱山について」 
    ・日置真理子「2009年3月15日の薬師炭鉱跡での聞き取り調査」
    ・竹本昇「在日韓国民主統一連合三重本部主催のセミナーでの報告」
    ・嶋田実「李基允氏・「相度氏の「墓石」について」
    ・キム チョンミ「李基允氏と「相度氏の「墓石」複製 在日韓人歴史資料館で展示」
    ・アイヌモシリの道市町村史を考える会 小林ホピー「アイヌモシリの『泊村史』を考える」
    ・佐藤正人「『熊野市史』をかならず書きかえさせよう!」 
    ・会計報告
    ・編集後記
    会報52号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報7号 2009年11月4日
    《表紙》紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の「場」(絵)
    ・竹本昇「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会第2回集会報告1」
    ・斉藤日出治「記者会見報告」
    ・ア久保雅和「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会第2回集会報告2」
    ・『朝鮮新報』(2009年8月26日)の集会案内記事
    ・グループ ほうせんか 西崎雅夫「いま、追悼碑はここにあります」
    ・佐山和子「第2回集会に参加して」
    ・紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 碑文(案)、説明文1(案)、説明文2(案)
    ・第2回集会を伝える新聞記事
          『朝日新聞』(9月7日)
          『統一日報』(9月16日)
          『民団新聞』(9月30日)
    ・「第2回集会に参加して」(集会参加者のアンケートより)
    ・斉藤日出治「紀州鉱山の調査と追悼碑の建立作業」
    ・ひおきまりこ「新宮地域でうかがったこと」
    ・キムチョンミ「野中の清水のトンネル」
    ・竹本昇「韓統連三重本部が熊野市と紀州鉱山で「現地調査」」
    ・韓統連三重本部の熊野市と紀州鉱山での「現地調査」」を報道する『民族時報』(10月1日)の記事
    ・日置真理子「海南島近現代史研究会第3回総会」
    ・「英国人墓地」問題にかんする紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会の質問状
    (2009年9月11日)
    ・「英国人墓地」にかんする熊野市の回答(2009年10月16日)
    ・佐藤正人「熊野市指定文化財「英国人墓地」について」 

    会報53号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報8号 2010年3月10日
    追悼碑除幕集会特集
    ・1、表紙 「追悼の場」(絵)
    ・2、비문・추도비건립선언
    ・3、碑文・追悼碑建立宣言
    ・4〜8、除幕までの道程
    ・9〜11、佐藤正人「千炳台さんのこと」
    ・12、佐藤正人「申應龍さんのこと」
    ・13〜16、【新聞記事】
              「朝鮮人労働者の追悼碑 来年3月に除幕式」(『伊勢新聞』2009年9月7日)。
              「朝鮮人犠牲者の追悼碑を」(『伊勢新聞』2009年11月1日)。
              「紀州鉱山の歴史展示」(『読売新聞』三重版2009年11月22日)。
              「朝鮮人追悼碑建立へ準備」(『紀南新聞』2009年11月26日)。
              「紀州鉱山に朝鮮人の追悼碑設置へ」(共同通信配信2009年12月26日)。
    ・17〜18、佐藤正人「韓国で 2010年1月末〜2月初め」
    ・19、「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の姓名」
    ・20、嶋田実「2009年秋の李基允氏と「相度氏を追悼する集会の報告」
    ・21、斉藤日出治「海南島近現代史研究会第5回研究集会報告」
    ・22、斉藤日出治「木本・紀州鉱山・「朝鮮村」・月塘村」
    ・23〜24、キムチョンミ「朴仁祚さんのこと」
    ・25、日置真理子「元「外人墓地」を知るアイルランド人の話」
    ・26〜28、「英国人墓地」にかんする2009年10月の熊野市回答への再質問書
    会報54号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報9号 2010年11月15日
    ・「追悼碑や「石」たち」嶋田実
    ・「闘いの始まりの宣言」徐文平
    ・「2010年 韓国で」佐藤正人
    ・「韓国調査報告2010年4月・10月」 斉藤日出治
    ・「李基允氏と「相度氏の“墓石”が極楽寺にもどりました」 キム チョンミ
    ・「四日市調査報告」 竹本昇
    ・「大畑高千穂さんの証言」 キム チョンミ 
    ・「8月21日「もどらなかったアボヂ」集会報告」 竹本昇
    ・「海南島近現代史研究会第4回総会報告」 斉藤日出治
    ・「フィリピンにおける石原産業」 佐藤正人
    ・「2010年初夏 海南島と三灶島で」 佐藤正人
    ・「海南島のドキュメンタリー 大阪人権博物館で連続上映会」 斉藤日出治
    ・「三重テレビへの取材協力と放映」 竹本昇
    ・「16回目の「相生平和記念碑」まえでの追悼集会に参加して」 斉藤日出治
    ・「不動産取得税、固定資産税の支払いをめぐる交渉経過」 竹本昇
    ・紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 建立基金報告

    ・新聞記事
        「朝鮮人差別の墓石戻る 極楽寺「人権教育の教材に」」
           (『毎日新聞』熊野版、2010年4月15日)。
        「木本事件と差別伝える資料 朝鮮人の墓石、極楽寺に戻る
        大阪の人権施設から再移設」(『紀南新聞』2010年4月16日)。
        「話し合い設け誠実に回答を 市文化財・英国人墓地問題 市民団体が
           市教委に要望」(『紀南新聞』2010年4月20日)。
        「熊野・紀州鉱山/戦跡は語る 65年後の記憶 朝鮮人ら強制労働従事」
           (『中日新聞』三重版、2010年8月20日)。
        「父は日本軍のために働き死んだ 韓国人遺族「過去に目を」」(『朝日新
           聞』関西版、2010年8月22日)。
    会報55号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報10号 2011年2月25日
    ・日置真理子「イギユンさんとペサンドさんを追悼する集会」
    ・佐藤正人「17回目の追悼集会」
    ・嶋田実「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する集会」
    ・佐藤正人「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼するつどい」
    ・佐藤正人「丁榮トさんと丁炳碩さん」
    ・キム チョンミ「丁炳碩さんの証言」
    ・新聞記事
        「「木本事件」で犠牲 朝鮮人悼み20人献杯 きょうまでパネル展も」
           (『毎日新聞』2010年12月5日朝刊 熊野版)
        「木本事件のパネル展 熊野 犠牲者の追悼集会も」
           (『中日新聞』2010年12月5日 朝刊 くろしお版)
        「旧紀州鉱山 朝鮮人労働者悼む 熊野で集会 「責任追及」誓う」
           (『朝日新聞』 2010年12月6日朝刊 三重版)
    ・竹本昇「審査請求と異議申立の棄却決定を受けてから裁判提起に向けて」
    ・宇恵悟「追悼碑建立の地への課税に対する訴訟に寄せて」
    ・佐藤正人「朝鮮人を追悼する場の課税に対する訴訟について」
    ・斉藤日出治「三重県および熊野市が地方税を課税することの不正義」
    ・「対熊野市訴状 請求の趣旨」
    ・「対三重県訴状 請求の趣旨」
    ・竹本昇「「英国人墓地」というものはなにか」
    ・佐藤正人「石原産業が経営していた海南島の田独鉱山で」
    ・斉藤日出治「海南島近現代史研究会第7回研究集会」
    ・『海南島近現代史研究』第2号・第3号案内 
    会報56号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報11号 2011年10月25日
    ・佐藤正人「2010年12月〜2011年10月
    ・斉藤日出治「紀州鉱山の朝鮮人追悼の場への課税に抗議するつどいを終えて
    ・朴成壽・丁乙權「紀州鉱山の朝鮮人追悼の場への課税に抗議するつどいへ
    ・丁乙權「(시) 한국인 징용자는 말한다  (《詩》 韓国人徴用者は語る)
       ・江原道議会議員一同の三重県知事にたいする「탄 원 서(嘆願書)
    ・韓国での報道(「江原道議会 丁乙權副議長 ‘朝鮮人死者追悼の場’上当課税に抗議(ほか)
    ・キム チョンミ「2011年10月7日、江原道麟蹄で
    ・竹本昇・佐山和子「朝鮮人を追悼する碑の土地への上当課税にたいする裁判の報告
    ・「朝鮮人追悼碑の土地 課税取り消しを請求 『朝日新聞』(三重版)2011年3月10日
    ・「紀州鉱山の追悼碑 民有地課税減免を《、『中日新聞』朝刊(三重版)2011年3月19日
    ・「追悼碑土地へ課税上当 取り消し求め県市提訴《、『伊勢新聞』2011年3月19日
    ・「課税取り消しを求め提訴《、『朝日新聞』(三重版)2011年3月19日
    ・「県、熊野市 争う姿勢 追悼碑用地課税取消訴訟《、『中日新聞』2011年8月5日朝刊(三重版)
    ・「旧紀州鉱山の追悼碑・課税訴訟 県と市「適法《争う姿勢《、『伊勢新聞』2011年8月5日
    ・キム チョンミ「李淵達さんの証言
    ・斉藤日出治「福島、広島、そして紀州鉱山、海南島 ・「海南島の死「事実知りたい 『朝日新聞』2011年8月30日朝刊(大阪版)
    ・「紀州鉱山の朝鮮人追悼碑、日本自治体が私有地課税 「聯合ニュース」2011年 5月 17日
    ・「日지자체 조선인 추모비 부지에 과세 논란、「연합뉴스」2011年 5月 17日
    ・紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 建立寄金・除幕集会計報告
    会報57号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報12号 2012年10月25日
    ・佐藤正人「2011年12月〜2012年10月」
      「李基允さんと「相度さんを追悼する18回目のつどい」
      「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する4回目のつどい」
      「伝統舞踊家が追悼の舞」、『伊勢新聞』2011年11月28日
      「旧紀州鉱山 労働に従事 朝鮮人追悼」、『中日新聞』朝刊(くろしお版)2011年11月29日
    ・小久保久子「イ・ギユンさん、ペ・サンドさんを追悼する集いに参加して」
    ・黒川裕之「熊野随想」
    ・上田 理奈「仲間との連帯」
      「日本鉱山犠牲者追悼地課税に抗議  金昌淑慶北道議員紀州は紀州鉱山強制労働犠牲者追悼地課税強硬対応!」、『新民主新聞』2012年2月24日
    ・キムチョンミ「慶尚北道議会の決議と議員団の紀州鉱山「現地調査」」
      「‘日本 紀州鉱山 真相究明 要求’本日 決議」、『ハンギョレ』2012年3月22日
      「紀州鉱山事件関連「真実糾明訪問団」日本現地訪問」、慶尚北道議会ウェブサイト2012年4月2日
      「道議会紀州鉱山真実糾明訪問」、『慶州インターネット新聞』2012年4月5日
      「慰霊碑敷地課税撤回を要求 韓国の訪問団、熊野市議会議長らと面談」、『伊勢新聞』2012年4月4日
      「旧紀州鉱山 韓国・道議員団が視察 熊野市長と面談も」、『朝日新聞』朝刊(三重版)2012年4月4日
      「韓国道議会、紀州鉱山追悼碑を訪問」、『中日新聞』朝刊(三重版)2012年4月4日
      「真実究明と解決を 紀州鉱山 韓国の道議会訪問団」、『中日新聞』朝刊(三重版)2012年4月5日
      「旧紀州鉱山で韓国・道議員団 「具体的解決策ない」 市議や県議らと面談」、『朝日新聞』
      朝刊(三重版)2012年4月5日
    ・竹本昇「裁判報告 裁判の経過と論点」
    ・佐藤正人「裁判報告 最高裁への上告までの経過」
      「紀州鉱山の追悼碑課税訴訟 原告の主張退ける 津地裁判決」、『伊勢新聞』2011年12月2日
      「朝鮮人慰霊碑課税 原告側の訴え却下 津地裁判決」『中日新聞』朝刊(三重版)2011年12月2日
      「朝鮮人追悼碑 熊野の訴訟 原告訴え 地裁棄却」『朝日新聞』朝刊(三重版)2011年12月2日
    ・佐藤正人「名古屋高裁がどのような「判決」をだそうとも」
      「紀州鉱山追悼碑で控訴審」、『中日新聞』朝刊(社会面)2012年4月11日
    ・紀州鉱山の真実を明らかにする会「名古屋高裁の審理不十分なままの「弁論終結」・「判決」に抗議する」
      「追悼碑課税訴訟 熊野の原告敗訴 名高裁が控訴棄却」、『中日新聞』2012年6月8日朝刊
    ・斉藤日出治 「朝鮮人を追悼する土地への課税に抗議するつどい」
    ・郭政義 「 “ウリ コヒャン 朝鮮から紀州鉱山へ”に出演して」
    ・李在一 「歴史認識」とは?」
    ・嶋田実「演劇“우리 고향 조선으로부터 기슈광산으로 ウリコヒャン 朝鮮から紀州鉱山へ”に参加して」 
    ・キムチョンミ「慶尚北道議会議員訪問団の7月の訪問」
      「慶北道議会、日紀州鉱山追悼碑報告会参席」、『大邱=ニューシス』2012年7月9日
    ・紀州鉱山の真実を明らかにする会「朝鮮人を追悼する土地への課税継続に抗議する」
    ・「会計報告」
    会報58号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報13号 2013年6月15日
    ・佐藤正人「李基允さんと「相度さんを追悼する19回目のつどい」
    ・佐藤正人「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する5回目のつどい」
    ・『毎日新聞』2012年12月2日朝刊(熊野版)記事「「暮らしやすい社会に」木本事件 朝鮮人労働者追悼」
    ・熊野市を被告とするあらたな訴訟の訴状結論部(朝鮮語訳)
    ・竹本昇「熊野市を被告とするあらたな訴訟の歴史的意味」
    ・『伊勢新聞』2013年3月23日記事「課税取り消し求め提訴  旧紀州鉱山・追悼碑をめぐり」
    ・『中日新聞』2013年3月23日記事「市民団体が市を提訴  熊野の追悼碑課税問題」
    ・「韓国慶尚北道議会の金昌淑(キム チャンスク)議員を証人に申請」
    ・金靜美「飯盛鉱山に強制連行された羅石連氏と林太岳氏 朝鮮慶尚南道統営から日本和歌山県飯盛鉱山へ」
    ・『統営聯合ニュース』2013年4月7日記事「従軍慰安婦追悼の碑 慶尚南道・統営で除幕式 」
    ・別紙
        「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼の場への課税を許さない」(7月4日の裁判傍聴の呼びかけ) 
        「熊野市を被告とする訴訟の経過」
    会報59号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報14号 2013年10月15日
        写真1 李基允さんの故郷、慶州慶州郡内東面排盤里(1996年7月9日)
      写真2 「相度さんの故郷、東萊郡沙下面槐亭洞のえんじゅの樹(1996年7月8日)
      写真3 「木本事件」のとき、3歳の「敬洪さんは、姉の月淑さんといっしょに寺の縁の下に隠
          れて夜を明かした(1989年4月23日、津での三重集会で)
    ・배철용「그곳의 무궁화는 벌써 20년을 할아버지 곁을 지키고 있었다니」
        (「哲庸「あの地のムグンファが、すでに20年、祖父のそばで見守っていたとは」)
    ・金蓬洙(談)「もう19年になるのか」
             写真 除幕式での「哲庸さんと金蓬洙さん
    ・徐文平「「木本事件」に思うこと」
    ・李在一「碑文の現在的意味」
    ・崔文子「「木本事件」に寄せて」
    ・宇恵悟「第20回追痛む集会に参加」
    ・大谷祐子「追悼という言葉に 心の痛みはあるだろうか」
    ・斎藤日出治「李基允さん・「相度さんの20回目の追悼集会にあたって」
    ・さきくぼまさかず「高校3年生だった」
    ・嶋田実「20回目の追悼集会にあたって」
    ・竹本昇「20回目の追悼集会を迎えるにあたり」
    ・日置真理子「追悼集会を年の区切りに、今年も反省を繰り返す」
    ・佐藤正人「追悼碑を建立してからの19年」
    ・金靜美「追悼碑が建立されてから亡くなった人たちのこと」
    ・金靜美「杉浦新吉氏のこと」
    ・金靜美「杉浦哲栄さんとの出会い」
    ・「熊野市を被告とする訴訟の経過」
    ・「金昌淑慶尚北道議会議員が証言する内容」
    ・金城実「沖縄との違いに、がくぜんとした」
          写真 金城実さんの仕事部屋で(読谷村 2013年6月22日)
    ・佐藤正人「裁判官の良心について」
    ・斉藤日出治「海南島近現代史研究会第7回総会報告」
      写真1 朴仁祚さん(1994年8月2日、熊野市との話し合いで)
      写真2 追悼碑の建ち上げ工事(1994年10月22日)
      写真3 みんなで碑文板を設置(1994年11月13日)
      写真4 除幕集会の前日、ムグンファの苗木を持つ「相度さんのひ孫、ギヒョンと、植える場
         所を掘る孫、チョリョン(哲庸)さん
      写真5 除幕集会の前日、熊野灘の海岸で、アリランを唄う朴慶植さん(1994年11月19日)
      写真6 追悼碑の除幕後、トランペットのアリランが響いた
      写真7 除幕集会で、アボヂ「敬洪さんのことばを読む「哲庸さん
      写真8 2011年11月26日、18回目の追悼集会で金順子さんが舞う
    会報60号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報15号 2014年10月25日
    ・佐藤正人「追悼碑建立20年 「木本事件」の歴史的意味」
    ・キム チョンミ「会結成から25年、追悼碑建立から20年」
    ・嶋田実「この四半世紀で「変わったこと」と「変わらないこと」」
    ・日置真理子「『木本事件』から88年後、2014年の千葉に生きるわたしが思うこと」
    ・宇恵悟「熊野にいて考える熊野」
       『朝鮮日報』1926年1月7日記事
        「隧道中に逃れた朝鮮人を包囲攻撃! 凶暴に飛びかかる自警団と警官隊の残酷な行動に、
        同胞は爆弾で応戦。三重県下乱闘惨劇の真相」(見出し日本語訳)
       『東亜日報』1926年1月10日記事
        「妊娠したからだで幼子をおぶい、異郷で泣く女性。無残に死んだ夫を想い、
        食べるものもなく放浪する身の上。三重県惨死者遺族」(見出し日本語訳)
    ・嶋田実「2013年の追悼集会報告(李基允氏と樮相度氏、紀州鉱山の「追悼の場」)」
    ・佐藤正人「日本の国家犯罪の隠蔽を許さない民衆運動を!」
    ・竹本昇「熊野市を被告とする訴訟の経過」
    ・キム チョンミ「李白洛さんと千炳台さんのこと」
    ・李白洛さんと千炳台さんの遺児の立証と証言
    ・『慶北新聞』にたいする記事訂正要求(日本語訳文)
    ・山邉悠喜子「父は? 祖父は? (忘れない、忘れてはならない記憶)」
    ・斉藤日出治「海南島近現代史研究会 第8回総会・第14回定例研究会総会報告」
    会報61号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報16号 2015年10月7日
    金靜美 「戦争法と憲法」
    ・佐藤正人 「日本の裁判官の侵略責任(植民地支配責任、戦争責任、戦後責任)」
    ・宇恵悟 「李基允さんと「相度さんの追悼碑の土地の崩落防止工事について」
    ・日置真理子 「2014年 追悼集会報告」
    ・李基允さんと「相度さんを追悼する場の階段と崖の手すり設置への寄金に感謝します。
    ・熊野市長・熊野市教育長にたいする抗議要請文(2014年11月23日、11月24日)
    ・「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人 35人の冥福祈る 集会に50人「続けていきたい」」
     (『毎日新聞』熊野版2014年11月25日)
    ・竹本昇 「熊野市を被告とする第2訴訟の経過」
    ・名古屋高裁にたいする第2訴訟の控訴理由書(2015年2月24日)
    ・斉藤日出治 「海南島近現代史研究会第15回定例研究会報告」
    ・斉藤日出治 「海南島近現代史研究会第9回総会・第16回定例研究会報告」
    ・佐藤正人 「『真相 海南島近現代史研究会17年(27次)調査足跡』紹介」
    金靜美 「海南島とわたし」
    ・佐藤正人 「海南島とベトナムで 杉原剛さんの証言」
    ・佐藤正人 「韓国戦争期民間人虐殺遺骸発掘共同調査に参加して」
    金靜美 「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する「場」のこと」
    ・紀州鉱山の追悼碑にかんする韓国の新聞記事(「聯合ニュース」・「朝鮮日報」2015年2月)
    金靜美 「金蓬洙さんのこと」
    金靜美 「韓国慶尚北道議会議員団、追悼集会に参加」
    ・編集後記 
    会報62号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報17号 2016年11月1日
    金靜美「新しい碑」
    ・宇恵悟「朝鮮人追悼碑をささえる12個の石」
    ・宇恵悟 「李基允さんと「相度さんの追悼碑の土地の崩落防止工事について」
    ・三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・「相度)の追悼碑を建立する会
    「木本事件は終っていない――いま、「木本人」はなぜ朝鮮人虐殺を肯定するのか――」
    ・斉藤日出治「2015年の追悼集会報告:李基允さんと「相度さんを追悼する22回目の集会の報告」
    ・竹本昇「2015年の追悼集会報告:紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する8回目の集会の報告」
    ・金靜美「壬辰倭乱・朝鮮植民地化・強制連行の痕跡をたどる
     ―2015年11月、韓国慶尚北道の道議員団とともに―」
    ・日置真理子「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼し続けるために」
    ・三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・「相度)の追悼碑を建立する会、
     第22回追悼集会参加者一同「2015年秋の対熊野市抗議要請文」)
    ・紀州鉱山の真実を明らかにする会、第8回追悼集会参加者一同「2015年秋の対熊野市抗議要請文」
    ・竹本昇「熊野市を被告とする第2訴訟の経過」
    ・佐藤正人「日帝強制動員歴史館(釜山)の「木本事件」についての展示」
    金靜美 「白南基(ペク ナムギ)さんと‟육철낫”」
    ・竹本昇「ピースおおさかリニューアル裁判」
    ・佐藤正人 「韓国戦争期民間人虐殺遺骸発掘共同調査に参加して」
    ・斉藤日出治「海南島近現代史研究会第17回定例研究会報告」
    ・斉藤日出治「海南島近現代史研究会第10回総会・第18回定例研究会報告」
    ・斉藤日出治 佐藤正人「海南島における日本の国家犯罪をテーマにした市民講座」

    【写真】
      三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・「相度)の追悼碑
      三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・「相度)の追悼碑前の碑文
      新しい碑「朝鮮人追悼碑」
      2015年10月29日、石を吊り下ろす
      2008年3月9日 選鉱所跡でのはじめての追悼集会で
      浄泉寺に置かれている朝鮮人の遺骨
      南谷墓地の共同墓地前で 左から、「韓国無名六人」 「栄宋讃」 「金光珠」
      2015年11月8日 追悼碑のまえでサムルノリ
        左から、丁悠瑪さん 許松大さん 安博輝さん 梁健銘さん
      日帝強制動員歴史館(釜山)の「関東大地震朝鮮人虐殺事件」と
      「三重県朝鮮人虐殺事件」についてのパネル

    【新聞記事】
      「朝鮮人労働者の足跡たどる 新宮で韓国議員団」
      (『朝日新聞』和歌山版、2015年11月8日)。
      「朝鮮人労働者しのぶ 「木本事件」「紀州鉱山」2団体が追悼集会」
      (『毎日新聞』熊野版、2015年11月10日。
      「旧鉱山で強制労働朝鮮人の冥福祈る 熊野」(『中日新聞』2015年11月10日)。


    『会報』63号・18号合併号 2017年117
    金靜美「10回の集いにいたる道 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する」
      佐藤正人「戦争法・「日本産業革命遺産」・「日本遺産」」
      金靜美「少女像の撤去を求めることは、日本の国家犯罪を免罪すること
      金靜美:
    소녀상 철거 요구는 일본의 국가범죄를 면죄하는 
      金靜美「日本の侵略犯罪を擁護する組織」
      金靜美:
    일본의 침략범죄를 옹호하는 조직재일본 대한민국 민단
      三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・「相度)の追悼碑を建立する会第23
     追悼集会参加者一同「熊野市への抗議・要請」
      紀州鉱山の真実を明らかにする会第9回追悼集会参加者一同「熊野市への抗議・要請」
      竹本昇「ピースおおさか改悪リニューアル裁判報告 2」
      「故常本一さんの意見書」  
      佐山和子「『ピースおおさか裁判』控訴審 住民勝訴について」
      斉藤日出治「海南島近現代史研究会第11回総会・第20回定例研究会報告」
      佐藤正人「追悼碑・碑文・追悼碑建立宣言・説明板の社会的意味」
      【写真】
          2017816
          200839日、紀州鉱山選鉱場前での第1回追悼集会
          2010328日、除幕集会で

      【新聞記事】
         汐崎信之「紀州鉱山で死亡の朝鮮人 支援者ら20人 追悼の集会」(『毎日新聞』熊野版20161128日)
         釆沢嘉高「市の非公開「違法」 大阪高裁 ピースおおさか展示」(『朝日新聞』201792日朝刊) 
         王可佳・
    马峥述:日本史学者认为认历史是面向未来的第一步」(新華網2017918日)
         王可佳・
    马峥「日本の歴史学者:歴史に対する承認は未来に向けた第一歩」(新華網 2017920日)
         王可佳・
    马峥访日本海南代史研究会成」(中国新華新聞電視網 2017919日) 
         許湖峻「“海南島朝鮮村の遺骸を発掘し日本軍の犯罪を徹底的に明らかにしなければならない”」
               (『ハンギョレ新聞』201761日)
    『会報』64号・19号合併号 2018年1015
    金靜美「1988911日」。
      斉藤日出治「三重県木本で虐殺された李基允さんと「相度さんを追悼する集会(20171118日)の記録」
      竹本昇「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する集会(20171119日)の記録」。
      【新聞記事】
        汐崎信之「朝鮮人労働者の冥福祈る 旧紀州鉱山 追悼集会に50人」、『毎日新聞』20171120日朝刊、熊野版。
        木造康博「戦中の歴史 記憶する  紀和 朝鮮人労働者を追悼」、『中日新聞』20171121日朝刊、くろしお版。
        「徴用犠牲者を追悼 市民集会 民団三重から発参加 紀州鉱山」、『民団新聞』20171129日)。

      殷慶基「紀州鉱山追悼式を民団の継続事業として」。
      郭政義「紀州鉱山にて」。
      申正春「被害者の恨(ハン)はいつ晴れるか  初めて集会に参加して」。
      S「個人と組織」。

      竹本昇「ピースおおさか改悪リニューアル裁判報告 3」。
      竹本昇「設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会について」。
      【新聞記事】
        遠藤浩二「大阪市の非開示 逆転「違法」 ピース大阪展示変更」、『毎日新聞』201792日朝刊。
        采沢嘉高「大阪府も逆転敗訴 ピース大阪文書非公開」、『朝日新聞』2017121日朝刊。
        湯谷茂樹「日本軍加害展示 復活を ピース大阪撤去 市民団体を結成」、『毎日新聞』201853日朝刊、大阪市内版。

      佐藤正人「海南島近現代史研究会第21回定例研究会声明について」。
      日本政府に20151228日の「日韓合意」の撤回を求める。
      
    일본정부에 20151228 ‘한일합의 철회를 요구한다

      海南島近現代史研究会第21回定例研究会(201823日)報告。
      海南島近現代史研究会第12回総会・第22回定例研究会(2018818日)報告。

      日置真理子「朝鮮学校への差別に反対」。
      小田伸也「戦争法と経済的徴兵制」。
      金靜美「小川茂子さんのこと」。
      金靜美「熊野市立図書館と「木本事件」・紀州鉱山にかんする資料」。
      金靜美「黄尚徳さん」。
    『会報』65号・20号合併号 2020年111

    金靜美 「2018年、2019年の追悼集会報告」

    【写真】「哀号(アイゴ)」と書かれた石

     200712月、尾鷲の小学校の6年生たち100人が一人10個づつ、七里御浜海岸で拾った石に、それぞれ思うことばを書いて、李基允氏と「相度氏の墓に敷き詰めた。201911月、いくつかの石は、書かれた文字が読めた(2019119日撮影)
    【写真】墨入れをおえて

     金靜美 「関西地域 民族教育関係者 研修会」報告
    【写真】木本隧道鬼が城出口で

    金靜美 「本龍寺の朝鮮人遺骨はいまどこに?」 

    【新聞記事】「1718日朝鮮人追悼集会=写真パネル展も=」(『吉野熊野新聞』20181118日) 

    【新聞記事】「現場から考える日韓の歴史 追悼碑に刻む無念の思い 三重・紀州鉱山 1300人が強制労働」(『しんぶん赤旗』20191127日)

    【新聞記事】「広がったデマ 奪われた命 三重で94年前 トンネル工事従事者の朝鮮人2人殺害 「木本事件 コロナ広がる今、教訓に」」(『朝日新聞』2020721日、東海版)

    【新聞記事】「加害の歴史問い続ける 「「中国侵略の反省」平和の塔裏に 815日在日朝鮮人には解放記念日」(新聞記事『朝日新聞』2020822日朝刊、和歌山版)               

    宇恵悟 「紀州鉱山の坑口があった惣房と上川で暮らして」 

    安西玲子 「12回目紀州鉱山、26回目李基允さん「相度さんの追悼集会に参加して」

    金靜美 「もくれんの会のひとたちとともにー2019429日」
    【写真】金禮坤さん 李基允氏と「相度氏の碑の前で(2019429)
    【写真】2019429日の追悼碑 白いもっこうばらにおおわれていた 

    佐藤正人 「アジアから問われる日本の戦争」展で現れた日本の民衆運動の危機」

    佐藤正人 「「アジアから見た日本の戦争」という名の展示会批判」 

    三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・「相度)の追悼碑を建立する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会 「展示会の名称を変更するとともに案内チラシの第2案を撤回してください」 

    佐藤正人 「海南島近現代史研究会集会報告(第23回定例研究会 201929日、第13回総会・第24回定例研究会 2019824日、第25回定例研究会 202028日、第14回総会・第26回定例研究会 2019824日)」

    金靜美 「追悼 李陽雨」
    【写真】2012121日、李基允氏と「相度氏の追悼碑の前でうたう李陽雨さん
     

    別刷り■20201122日の追悼集会のご案内

    ■三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・「相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会の『会報』の読者のみなさんへ

     

    『会報』66号・21号合併号 2021年111

    今年の追悼集会の案内

    写真:李基允さんと「相度さんを追悼する場の案内板(2021.10.5.)

    金靜美 「李基允氏と「相度氏を追悼する27回目の追悼集会」

    嶋田実 「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する13回目の追悼集会に参加して」

    金靜美 「李基允氏と「相度氏を追悼する「追悼の場」に案内板を設置しました」

    【新聞記事】 「つながる道 歴史知ること 強制連行・労働犠牲者刻む2つの碑に」(『朝日新聞』朝刊 20201128日 和歌山版)

    【新聞記事】 「現場へ! 強制労働の足跡をたどる3 アジア人への冷たさ 根深く」(『朝日新聞』夕刊 2020129日)

    金靜美 「杉浦哲栄さんのこと 2021726日」

    宇恵悟 「追悼場2021」

    写真:壊れた「追悼碑建立宣言」台(2021.3.22.)
    写真:作り替えた「追悼碑建立宣言」台と碑(2021.10.7.)

    金靜美 「円通院から本龍寺へ 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の遺骨」 
    写真:円通院あとの説明板
    写真:真ん中の「墓石」には「鑛」という文字

    金靜美 「「木本事件」と紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんする写真パネルと解説パネルについて」

    三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・「相度)の追悼碑を建立する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会 「解放同盟全国連合会機関紙『解放新聞』の虚偽記事について」

    佐藤正人 「【報告】2020年秋に、なぜ民衆運動の深化をさまたげる「会」が現われたのか」

    金靜美 「わたしたちの立場」

    金靜美  「改組三会」の『会報』1号における虚偽記述について

    金靜美 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 建立基金について 

    別刷り
    20211114日の追悼集会のご案内

     

    『会報』67号・22号合併号 20221110

    表紙 1120日の李基允氏と「相度氏を追悼する29回目の集いと紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する15回目の集いのお知らせ【写真】紀和町の「追悼の場」 卯の花 (20225月撮影)

    金靜美「李基允氏と「相度氏を追悼する28回目の追悼集会」

    金靜美「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する集い」

    宇恵悟「木本・板屋の追悼碑」
    【写真】20225月 追悼碑建立宣言とはなみづき

    新聞記事「朝鮮人犠牲者へ花たむけて献杯 三重・熊野で追悼集会」(『朝日新聞』朝刊、和歌山版、20211116日)

    岩脇彰(三重県歴史教育者協議会)「追悼集会に参加して」    

    大西孝明(三重県歴史教育者協議会)「追悼集会に出席して」     

    麻生瑞樹(三重県歴史教育者協議会)「紀州鉱山・朝鮮人虐殺慰霊集会に参加して」                   

    佐藤正人【報告】民衆運動の深化をさまたげる「改組三会」の崩壊

    金靜美「「木本事件」と紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんする写真パネルと解説パネル その後」

    中川清子「金靜美さんたちとの出会い」
    【写真】2015211日の海南島近現代史研究会定例研究会で報告する中川清子さん

    조성봉추석날 단상또다른 

    趙成鳳「秋夕断想 もうひとつの生」 金靜美訳
    【写真】「曹渓庵がかつてあった場所(趙成鳳さん撮影)
    【写真】智異山で(2016630日 金靜美撮影)

    海南島戦時性暴力被害訴訟史(年表)
    佐藤正人「海南島戦時性暴力被害訴訟」
    【写真】2005316日の第9回裁判のために来日した林亜金さんと張応勇さん。裁判の前日、弁護士との話し合いの席で

    編集後記

     

    『会報』68号・23号合併号 20231010

    表紙 
      【写真】:1994年11月20日、李基允氏と「相度氏を追悼する碑の除幕。右側、「相度氏の孫、「哲庸氏
    2頁:李基允氏と「相度氏を追悼する集い、30回目をむかえて
       秋夕を迎えて(2023年10月1日)  「哲庸  
    3〜8頁:李基允氏と「相度氏を追悼する集い、30回目をむかえて
      30回目の追悼集会にあたって  嶋田実
      木本事件から  郭政義
      李基允氏と「相度氏を追悼するつどい、30回目をむかえて  宇恵悟
      この時代を生きる私たちに今、何が問われているか  米持匡純、
      日本の植民地責任を学び、語り継ぐ場として  岩脇彰
      追悼碑が建設されてから30年  佐藤正人
    9頁:2022年の追悼集会
      追悼集会に参加して思うこと  洪光子(在日本大韓民国民団三重県地方本部副団長)
    10頁:「木本事件」の朝鮮人側弁護人、竹内金太郎  金靜美
    11〜14頁:関東大震災虐殺2年4か月後の朝鮮人虐殺  三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者
    (李基允・「相度)の追悼碑を建立する会
      【写真】@『朝鮮日報』1926年2月4日夕刊「放置された惨死体には「無心のからすが群がる」
       (「事件」を伝える記事)
          A李基允氏と「相度氏を追悼する碑 1994年11月20日、建立 
          B2010年3月28日、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の名前が書かれた石たち 
          C「日寇時期受迫害死亡工友紀念碑」。石原産業が経営していた田独鉱山にある碑。1948年4月、
         海南鉄礦田独礦区の労働者が建てる。周辺には人骨が大量にあったという。ここには、
          大勢の人海南島住民も強制連行され、  “あそこに行けば戻ってこられない”といわれた。
    15〜17頁:「木本事件」と紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんする写真パネルと解説パネルについて
      金靜美                                   
    18頁:『熊野市史』と図書館巡り  大谷祐子
    19頁:平和のための戦争展わかやまで
            ―「木本事件」と紀州鉱山に強制連行された朝鮮人にかんするパネルを展示―   金靜美                              
    20頁:本の紹介『일분군 ‘위안부’  피해자 김옥주 구술자료집 』한국정신대연구소 엮음
       (『日本軍‘慰安婦’被害者 金玉珠
        口述資料集』韓国挺身隊研究所編、韓国女性人権振興院刊、2022年12月)  金靜美
    21頁:海南島近現代史研究会第14回総会・第26回定例研究会について  佐藤正人
    23〜24頁:板屋の「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の「追悼碑建立宣言取り付け台」
        入れ替え工事とその作業撮影  宇恵悟
      【写真】:@崩壊した「追悼碑建立宣言」台
           A作り直された台(2021年3月)
           B兪柄煥さん、首藤さん、秦さん
           C仲曽根さん(2023年9月13日・14日)
           の名前が書かれた石たち

    編集後記

     

    紀州鉱山の真実を明らかにする会