朝鮮の故郷から引き離され、紀州鉱山で働かされ、 亡くなった人たち。
家族とともに紀州鉱山に来て亡くなった 幼い子たち。
わたしたちは、 生きて故郷に帰ることができなかった みなさんを想い、
なぜ、みなさんが、 ここで命を失わなければならなかったのかを 明らかにし、 その歴史的責任を追求していきます。
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2008年3月9日 選鉱所跡でのはじめての 追悼集会で
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追悼のことば
紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人を
追悼する碑の建立へご協力をありがとうございます。
また引き続きどうぞよろしくお願いします。 |
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――紀州鉱山追悼碑建立基金に、163万5744円が寄せられました。――
2012年10月25日現在
ありがとうございました。
追悼碑の石は、紀和町丸山千枚田の赤石で、紀和町の方が寄贈してくださいました。
収入 |
借入金 2009.5.25 |
2,000,000 |
寄金 2008.3〜2012.10 |
1,635,744 |
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小計 |
3,635,744 |
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支出 |
土地購入費・諸経費 |
2,167,000 |
碑石搬入・設置・碑文板はめ込みなど |
280,000 |
碑文板製作費 |
70,000 |
「追悼の場」構築 宣言文板設置など |
29,013 |
寄金送金振替手数料 |
12,300 |
小計 |
2,558,313 |
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差し引き |
1,077,431 |
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借入金返済 |
980,000 |
差し引き残高 |
97,431 |
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今後、借入金102万円を返済していかなければなりません。
ご協力をよろしくお願いいたします。
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三重県南部の熊野市紀和町の紀州鉱山(1978年閉山)で、1940年から1945年までに1000人を超える朝鮮人が強制連行され強制労働させられていました。
石原産業が経営していた紀州鉱山では、家族とともに来て亡くなった幼い子たちをふくめて、30人をこす朝鮮人が亡くなりました。また、1944年に300人連れてこられたイギリス兵捕虜たちは、1年足らずのあいだに16人が亡くなりました。1987年、紀和町(現熊野市)は石原産業の責任を隠したまま、イギリス兵捕虜の墓地跡に『史跡 外国人墓地』(現熊野市指定)を作りました。
ところが、紀州鉱山で命を奪われた朝鮮人を追悼する碑も、強制連行・強制労働の事実を明らかにする施設も、熊野市にはありません。わたしたちの追悼碑建立への協力、用地提供などの要請にも、熊野市はいっさい応じていません。
紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会は、購入資金を借金し、土地を購入、碑を建てました。
2010年3月28日に、除幕集会を開きました。
お近くにお立ち寄りの際は、ぜひお越しください。
2012年11月
紀州鉱山の真実を明らかにする会 郵便口座番号 00920−3−247174
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