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紀南新聞 2010年4月16日 
「朝鮮人の墓石、極楽寺に戻る」 

■木本事件と差別伝える資料
 朝鮮人の墓石、極楽寺に戻る
 大阪の人権施設から再移設
 朝鮮人に対する民族差別の資料として大阪府浪速区の大阪人権博物館に展示していた2人の朝鮮人、イ・ギユンさんとペ・サンド)さんの墓石が14日、元あった熊野市木本町の極楽寺(足立知典住職)に約15年ぶりに戻された。同博物館の主任学芸員・文公輝さんは「展示資料の中でも、見学者の目を引いたものの1つ。本来あるべき場所で、差別の実態を広く知ってもらうことにつながれば」などと話していた。
 2人は、1926年に木本町(現・熊野市)で発生した木本事件で住民に殺害され、その後、2人の雇い主が墓石を作ったものの、6文字あるべき戒名(かいみょう)が4文字しかなく、日本式の氏名の前に「鮮人」と書かれているなど、差別的な内容になっていた。
 今回、同寺に毎年、尾鷲市の小学生が人権学習に訪れていることから、足立住職が関係者と相談して寺に戻すことに決めた。14日、同事件を調査する市民団体「三重県木本町で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会」の金靜美代表ら8人が寺を訪れ、レプリカを取り除いた後、墓石を安置し直した。2つの石が真正面を向いて並ぶよう、位置を調整しながら土の上に置き、玉砂利で周囲を固めた。
 墓石はもともと、同寺の無縁墓地の中に離れ離れに置かれていたのを同会関係者らが発見し、足立住職の好意で墓所の一角に石碑とともにまつられていた。1995年に同博物館の展示資料として移され、レプリカを置いていた。
文さんは「朝鮮人への差別を端的に示す資料として、見学の子どもたちの心を動かしていた」と話した。また、金代表は「この場所に現物のあることが、事件の実態を伝えることにつながる」と、安置した墓石を見つめていた。

   【写真】墓石を安置しなおす会員ら
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