新聞報道
『中日新聞』(三重版) 2008年11月23日
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真相 後世に決意新た
熊野 木本事件犠牲者を追悼
熊野市で朝鮮人労働者が虐殺された「木本事件」の犠牲者を追悼する集会が二十二日、同市木本トンネル近くの追悼碑前であり、県内外から集まった在日朝鮮人ら二十人が、事件の真相を伝える決意を新たにした=写真。
「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会」によると、事件は一九二六年、木本トンネルの工事現場で働いていた朝鮮人を日本人が刀で斬りつけ、それに対する抗議をきっかけに発生。住民や在郷軍人らが朝鮮人の宿舎を襲撃し、騒ぎを抑えようとした「相度(ペ・サンド)さんと李基允(イ・ギユン)さんを殺害した。
八九年に歴史研究家や教諭が名を連ねて結成した同会は、熊野市に追悼碑の共同建立を持ち掛けたが、碑文の内容で折り合いがつかず、九四年に独自で碑を建て、追悼集会を続けている。事件の真相を広く市民に知ってもらおうと、「熊野市史」の書き換えを求めているが、応じてもらえないという。
集会では、マッコリでの献杯に続いて、参加者一人一人が事件に対する思いを述べた。同会の竹本昇事務局長(五八)は「八十年以上前の事件だが、それをどう認識するかは私たちに課せられた課題」と語った。
同市の朝鮮人労働者については他にも、太平洋戦争時に紀和町の紀州鉱山で千人以上が強制連行され、三十二人が亡くなったとされている。二十三日には、八月に発足した「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会」が、選鉱場跡や共同墓地などで現地調査を行う。(鈴村隆一)
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