新聞報道
『毎日新聞』(三重版) 2008年8月27日
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無言の証人 三重の戦争遺跡11
熊野・鬼ヶ城歩道トンネル:忘れられる2人の犠牲
国の天然記念物、熊野市の景勝・鬼ヶ城。その一帯を舞台に1926年1月、「木本(きのもと)事件」は起こった。当時、日本は朝鮮半島を植民地支配していた。
「『何かあったら、朝鮮人たちが仕返ししにくる』という当時の日本人(住民)が抱いていた恐怖心が背景だった」と同市有馬町の郷土史研究家、桐本正男さん(82)は言う。朝鮮半島で生まれた桐本さんは約60年間、この事件を調べ続けている。
熊野市史などによると、近くの映画館に来た朝鮮人客と活動写真の興行主の口論が、やがて住民と鬼ヶ城歩道トンネル(500メートル)の工事に来ていた朝鮮人約30人が対立する事態に発展。ダイナマイトを持った朝鮮人たちがトンネル内に逃げ込んだ。騒ぎを収束させるため、住民らの一部が朝鮮人たちを説得。しかし、トンネルから出てきた際、暴徒化した一部の住民に襲われた。この一連の騒動で、「相度(ペサンド)さん(当時29歳)ら朝鮮人2人が殺害され、朝鮮人をかばおうとした住民側にも、けが人が出るなどした。
トンネルは当時、「木本隧道(ずいどう)」と呼ばれ、事件の前年の11月に完成した。同市の木本町と大泊町の間には熊野古道・松本峠(標高135メートル)があり、トンネルは住民の悲願だった。日本人のほか、朝鮮人労働者らが近くの飯場でともに生活しながら工事に携わった。
事件後、2人の墓が同市木本町の極楽寺に建てられた。現在、墓石は大阪市の大阪人権博物館に移されている。寺の足立知典住職(40)は「世界の情勢は事件当時も今も、変わらない気がする。国や民族同士の溝が埋まり、相互理解が広がってほしい」と話す。
トンネルは03年、土木学会(東京都)から、県内初の土木遺産に認定された。だが、このトンネルで事件があったことを知る市民は少なく、事件の風化が進んでいる。(汐ア信之)(つづく)
【写真】朝鮮人労働者が逃げ込んだ鬼ヶ城歩道トンネルを解説する桐本さん=熊野市で
【写真】極楽寺の墓地には木本事件の解説板と足立住職が新たに建てた墓石が並ぶ=熊野市で
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