紀州鉱山の真実を明らかにする会

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『読売新聞』(三重版) 2008年9月1日
朝鮮人の追悼碑 建立する会発足 紀州鉱山
「歴史的事実として理解を」「真実を明らかにする会」など

 太平洋戦争中、熊野市紀和町の紀州鉱山で強制的に働かされた朝鮮人の実態などを調査している「紀州鉱山の真実を明らかにする会」(金静美事務局長)と韓国民団などは31日、鉱山で命を落とした朝鮮人の追悼碑を建立する会を発足させた。銅鉱石などの鉱物資源に恵まれ、国内有数の規模を誇った同鉱山では、1000人を超える朝鮮人が強制労働させられたといわれ、建立の意義について、金事務局長は「名も知られず、家族にも知らされず亡くなった朝鮮人のためにも、碑を建てることで、歴史的事実として広く理解してほしい」と話している。
 紀州鉱山は1978年に閉山。戦時中に同鉱山で働いていた朝鮮人のことは、旧紀和町史にも、鉱山を経営していた石原産業(大阪市)の資料にも記載がないといい、同会は97年11月の結成後、韓国へ渡って証言を聞いたり、家族や友人、鉱山で働いていた日本人らから話を聞いたりして調査を進めてきた。
 これまでの調査で、日本政府が韓国政府に提出した名簿などから、終戦までの数年間で875人の朝鮮人が働いていたことが判明。94年に県の文書から見つかった「昭和20年4月 知事引継書」などの資料では、39〜45年の間に1000人以上の朝鮮人が同鉱山で強制労働させられ、少なくとも三十数人が事故や病気で死亡したとされている。
 当時の強制労働で亡くなったイギリス人捕虜16人の追悼式は、毎年開かれており、町史にも記載されている。しかし、朝鮮人については、同会が追悼集会の開催や、同町の鉱山資料館への展示などを求めているが、実現していない。今年3月、同会の働きかけで初めて、同鉱山選鉱所前で朝鮮人の追悼式が開かれ、メンバーは犠牲者の墓地などを訪れた。  発足式では、死亡が確認されている朝鮮人32人分の名前などを碑に刻み、来年春の建立を目指すことや、市に追悼碑建立のための土地を提供するよう求めていく方針を確認した。
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紀州鉱山の真実を明らかにする会