新聞報道
『伊勢新聞』 2008年9月1日
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旧紀州鉱山の朝鮮人を追悼 碑建立へ会発足
【津】石原産業が経営していた熊野市紀和町の旧紀州鉱山で戦時中に死去した朝鮮人労働者を悼むため、「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会」が三十一日、津市桜橋二丁目の県教育文化会館で発足した。市民団体「紀州鉱山の真実を明らかにする会」や在日本大韓民国民団(民団)県地方本部、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)県本部など四団体が呼び掛け、約三十人が集まった。
民団伊賀支部の申載三支団長は、「熊野市は碑建設の土地提供について理由なく拒否し、無礼。歴史的責任を感じなければならない。建立まで頑張ろう」とあいさつした。
1994年に結成した「紀州鉱山の真実を明らかにする会」は朝鮮人労働者の生存者からの聞き取りや資料発掘で強制連行や強制労働の実態解明を進め、2008年3月に旧紀州鉱山跡で初めて追悼集会を開いた。1940年から1945年までの間に延べ百人以上の朝鮮人が強制連行され、32人の死亡者の名前が分かっているという。追悼碑実現に向け、総連や民団の協力を得て組織の輪を広げた。
建設費約300万円で、2009年春の除幕を目指す。設置場所は紀州鉱山跡地を予定しているが、「明らかにする会」の求めに対し、熊野市は「旧紀州鉱山板屋選鉱所前と史跡英国人墓地付近の市有地、石原産業から使用賃借している熊野市紀和鉱山資料館の敷地のいずれも提供しない」と拒んでいる。
「明らかにする会」のキム・チョンミさんが「イギリス軍捕虜の外人墓地は旧紀和町が土地を提供し、文化財指定している。鉱山資料館にも説明がある。一方で朝鮮人労働者は黙殺されているが、地元の人は証言してくれるし、韓国に行って話してもくれる。熊野市と交渉していきたい」と報告した。
碑文の文面案は、「紀州鉱山から生きて故郷に戻ることができなかった皆さんを追悼する」とし、石原産業が日本軍占領とともに経営しだした中国の海南島やフィリピンの鉱山での犠牲者にも触れ、「日本政府・日本軍・日本企業がアジア太平洋の各地で多くの人の命を奪った歴史的事実を明らかにし、その責任を追及する」と結んでいる。「明らかにする会」が制作したドキュメンタリービデオ「紀州鉱山に強制連行された人たち 故郷で」を上映。碑の文章や募金など建立に向けた活動を話し合った。
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