紀州鉱山の真実を明らかにする会          集会案内



★2010年7月30日(金)、7月31日(土)、8月1日(日)に
大阪人権博物館リバティおおさかで、ドキュメンタリー上映会を開きました。
ご参加どうもありがとうございました。
以下は、当日の内容です。


     ドキュメンタリー上映会・解説
にちじ:2010年7月30日(金)、7月31日(土)、8月1日(日)
ところ:大阪人権博物館 リバティおおさか 
参加費:1日1000円 2日以上2000円(いずれも入館料込みです)
※高校生以下、無料(入館料100円は必要です)
※リバティおおさか入口で、「上映会参加」と伝えてください

上映作品:
     @『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』(2004年、65分)
     A『「朝鮮報国隊」』(2006年、55分)
     B『海南島月塘村虐殺』(2008年、45分)
地図はこちら

紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会が今までに企画・制作したドキュメンタリーを上映します。どうぞご参加ください。
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☆7月30日(金)☆
13:00〜
       「リバティおおさか(大阪人権博物館)で連続上映会を開催するにあたって」
        斎藤日出治さん(紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会会員)
13:10〜
       解説「“南国の楽園”海南島までの距離をどう縮めるか?」
       藤井幸之助さん(海南島近現代史研究会会員・コリアン・マイノリティ研究会世話人)
13:40〜
       作品@『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』上映 (14:45〜 休憩)
15:00〜15:55
        作品A『「朝鮮報国隊」』上映


☆7月31日(土)☆
13:00〜
       解説「海南島とわたし」斎藤日出治さん
13:30〜
       作品B『海南島月塘村虐殺』上映 (14:15〜 休憩)
14:25〜15:30
        作品@『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』上映


☆8月1日(日)☆
13:00〜
       解説「「朝鮮報国隊」について」
       竹本昇さん(紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会会員)
13:30〜
       作品A『「朝鮮報国隊」』上映 (14:25〜 休憩)
14:40〜15:21
        作品B『海南島月塘村虐殺』上映
                    


★2010年8月21日(土)
「韓国併合」から100年 遺族の証言を聞くつどい を開きました。
ご参加どうもありがとうございました。
以下は、当日の内容です。


    戻らなかったアボヂ
にちじ:2010年8月21日(土) 13時〜17時(開場12時半)
ところ:大阪産業大学 梅田サテライト・レクチャーA室
               (大阪駅前第三ビル19階)
参加費(資料代) 500円

地図はこちら

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【主催】 紀州鉱山の真実を明らかにする会
     海南島近現代史研究会
【後援】 太平洋戦争被害者補償推進協議会(韓国)
【協力】 在韓軍人軍属裁判を支援する会
     同胞保護者連絡会(大阪)
     東大阪民族講師会・民族教育をすすめる連絡会
     コリアン・マイノリティ研究会
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■アボヂは海南島で死んだ
                 ハングァンス(韓光洙)さん
日本政府の閣議決定にもとづいて、1943年〜44年に、朝鮮総督府は、朝鮮各地刑務所の獄中者を選んで「朝鮮報国隊」に入れ、2000人を海南島に強制連行しました。「朝鮮報国隊」の人たちは、周囲から隔離され、強制的に飛行場や道路を作らされたり、鉱山などで働かされました。生き残った人たちは、1945年夏に、「朝鮮村」で虐殺されました。「朝鮮村」には、いまも数百体の遺骨が埋められています。
韓光洙さんの父、韓g錫さんは、海南島南東部の陵水に連行され、1944年2月に亡くなりました。妻の李康姫さんが受けとった箱には、小さな骨が入っていたそうです。
韓g錫さんの古い戸籍簿には、
   「1944年弐月拾七日午後五時海南島陵水朝鮮報国隊ニ於テ死亡京城刑務所長朝鮮総督府典獄渡邉豊通報同年参月参拾壱日受付」
(原文は元号使用)
と日本語で書かれています。

■アボヂを「ヤスクニ」からとりもどすたたかい 
                 イヒヂャ(李煕子)さん
1944年2月15日、「国民徴用令」によって江華島の自宅からアボヂ李思Rは、戦場に連行された。そのときわたしは一歳を過ぎたばかりだった。
1992年にわたしは、はじめて、アボヂの死亡を『被徴用死亡者連名簿(旧日本陸軍在籍)』で確認した。さらに、その時ようやく見つけた資料は、『被徴用死亡者連名簿(旧日本陸軍在籍)』である。アボヂは、軍属として1945年6月11日に中国の広西省全県180兵站病院で死亡していた。1997年にようやくみることができた『支那派遣軍第6方面軍第11軍隷下部隊留守名簿(其二)』にもアボヂの名があったが、そこには、‘合祀済’という印鑑が押されてあった。アボヂは、日本人戦犯たちと一緒に、‘靖国神社に合祀’されていたのだ。2003年に、アボヂの死にかんする真実にもう一歩ちかづく資料『兵籍戦時名簿』を発見した。


                    


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